2024年 4月 25日 (木)

【IEEIだより】福島レポート なぜそれは「医学」研究だったのか!? 災害と医療研究(4)

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   これまで、被災地の医学研究の困難と課題について述べてきました。では、これまで発信されてきた被災地の医学研究論文はすべて「医学の研究」であったのでしょうか――。

   被災地の健康問題に係る研究が、医学研究として発信されざるを得なかった当時の背景を考察したうえで、それを医療者任せにすることのリスクについて述べていきます。

  • 震災から8年……(写真は、福島県いわき市周辺)
    震災から8年……(写真は、福島県いわき市周辺)
  • 震災から8年……(写真は、福島県いわき市周辺)

被災地の情報発信が医療者ばかりだったワケ

   生命科学や医学系の論文の無料検索サイトである「PubMed」で、「Fukushima」と「disaster」をタイトルや要旨に含む論文検索をすると、400弱の医学系論文が検出されます。その主だった内容は以下のとおりです。

(1)被ばく関連=空間線量や住民の被ばく線量など
(2)原子力災害マネジメント
(3)甲状腺スクリーニング=実施方法、社会的影響、医学的影響など
(4)リスク学=リスク認知、リスクコミュニケーション、情報発信など
(5)社会学=社会構造やソーシャルキャピタルの変化など
(6)公衆衛生学=避難行動、避難生活、ライフスタイルの変化など
(7)医療施設=医療崩壊、病院被害、医療スタッフなど
(8)周産期医療・小児医療:妊婦・新生児・子どもへの健康影響など
(9)精神医学=PTSD(心的外傷後ストレス障害)、うつ病、燃え尽き症候群など

   こうして見ると、(1)~(5)および(6)や(7)の一部については、必ずしも純粋な医学とは呼べないことがわかると思います。(8)~(9)についても、自治体の健康診断や教育機関のデータを扱う場合には、必ずしも医療者がデータ解析を行う必要のないものもあります。

   前回「災害と医学研究(3)『医学研究』への不信」で述べたように、被災地における論文が必ずしも「インパクトファクター」が高い雑誌に受理されない背景には、このような研究が医療の専門家から見て専門性が高くない、あるいは新規性に乏しいとみなされる、という現実があります。

   では、これらの論文が医療者によって医学論文として発信されてきたのは、なぜでしょうか。そこには、大災害直後の被災地の状況、原発事故の特殊性、そして「専門性」に対する認識という3つの理由があると思います。

《被災地における医学研究者の優位性》

   大きな災害の直後、誰もが欲しがるのは正確な情報です。そのため、公衆衛生の視点で考えた場合には、災害早期から情報収集チームが現地に入り、住民の方々の健康状態も含め調査することが理想的です。

   しかし、大混乱のさなかにある被災地において、外部の人間が迷惑をかけずに調査に入ることは困難を極めます。人も物資も不足するなか、「調査・研究」という名目で被災地に入ることが、不謹慎と誹りを受ける可能性すらあったと思います。

《原子力発電所事故という特殊性》

   さらに、原発事故のように政治性のからむ(すくなくとも住民にはそう見られる)災害においては、研究者の生活費・研究費の資金源も非難の対象となり得ます。通常、被災地の調査・研究費は省庁や国立機関から出されることが多いと思います。しかし、国とそれに関連する機関に対する住民の方の反感が極度に高まる原発事故にあっては、国から資金を得ている、あるいは国の機関から派遣されたという時点で「御用学者」として地域の反感を買うこととなり得ます。当時、被災地で研究を行うことは、エネルギーや環境学関係の方全員にとって困難であったのではないでしょうか。

   そのようななか、被災地に入るための障壁が低かったのが医療者です。医療が絶対的に不足する被災地において、医療者は災害直後からあまり迷惑がられずに現地に入ることができます。さらに、現場のスタッフとしてお給料をいただき、研究費に依存せず現地の方と協力して情報を収集・発信することも可能でした。つまり、医療者は地域と軋轢を起こさず現地の情報を得る人員として最適であった、といえます。

   もちろん、当時の医療者が情報収集目的に被災地を訪れたわけでなく、結果的にそうなった、というだけの話です。

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