これまで、被災地の医学研究の困難と課題について述べてきました。では、これまで発信されてきた被災地の医学研究論文はすべて「医学の研究」であったのでしょうか――。被災地の健康問題に係る研究が、医学研究として発信されざるを得なかった当時の背景を考察したうえで、それを医療者任せにすることのリスクについて述べていきます。被災地の情報発信が医療者ばかりだったワケ生命科学や医学系の論文の無料検索サイトである「PubMed」で、「Fukushima」と「disaster」をタイトルや要旨に含む論文検索をすると、400弱の医学系論文が検出されます。その主だった内容は以下のとおりです。(1)被ばく関連=空間線量や住民の被ばく線量など(2)原子力災害マネジメント(3)甲状腺スクリーニング=実施方法、社会的影響、医学的影響など(4)リスク学=リスク認知、リスクコミュニケーション、情報発信など(5)社会学=社会構造やソーシャルキャピタルの変化など(6)公衆衛生学=避難行動、避難生活、ライフスタイルの変化など(7)医療施設=医療崩壊、病院被害、医療スタッフなど(8)周産期医療・小児医療:妊婦・新生児・子どもへの健康影響など(9)精神医学=PTSD(心的外傷後ストレス障害)、うつ病、燃え尽き症候群などこうして見ると、(1)~(5)および(6)や(7)の一部については、必ずしも純粋な医学とは呼べないことがわかると思います。(8)~(9)についても、自治体の健康診断や教育機関のデータを扱う場合には、必ずしも医療者がデータ解析を行う必要のないものもあります。前回「災害と医学研究(3)『医学研究』への不信」で述べたように、被災地における論文が必ずしも「インパクトファクター」が高い雑誌に受理されない背景には、このような研究が医療の専門家から見て専門性が高くない、あるいは新規性に乏しいとみなされる、という現実があります。では、これらの論文が医療者によって医学論文として発信されてきたのは、なぜでしょうか。そこには、大災害直後の被災地の状況、原発事故の特殊性、そして「専門性」に対する認識という3つの理由があると思います。《被災地における医学研究者の優位性》大きな災害の直後、誰もが欲しがるのは正確な情報です。そのため、公衆衛生の視点で考えた場合には、災害早期から情報収集チームが現地に入り、住民の方々の健康状態も含め調査することが理想的です。しかし、大混乱のさなかにある被災地において、外部の人間が迷惑をかけずに調査に入ることは困難を極めます。人も物資も不足するなか、「調査・研究」という名目で被災地に入ることが、不謹慎と誹りを受ける可能性すらあったと思います。《原子力発電所事故という特殊性》さらに、原発事故のように政治性のからむ(すくなくとも住民にはそう見られる)災害においては、研究者の生活費・研究費の資金源も非難の対象となり得ます。通常、被災地の調査・研究費は省庁や国立機関から出されることが多いと思います。しかし、国とそれに関連する機関に対する住民の方の反感が極度に高まる原発事故にあっては、国から資金を得ている、あるいは国の機関から派遣されたという時点で「御用学者」として地域の反感を買うこととなり得ます。当時、被災地で研究を行うことは、エネルギーや環境学関係の方全員にとって困難であったのではないでしょうか。そのようななか、被災地に入るための障壁が低かったのが医療者です。医療が絶対的に不足する被災地において、医療者は災害直後からあまり迷惑がられずに現地に入ることができます。さらに、現場のスタッフとしてお給料をいただき、研究費に依存せず現地の方と協力して情報を収集・発信することも可能でした。つまり、医療者は地域と軋轢を起こさず現地の情報を得る人員として最適であった、といえます。もちろん、当時の医療者が情報収集目的に被災地を訪れたわけでなく、結果的にそうなった、というだけの話です。「専門家不在」の災害現場しかし、それだけでは災害から8年たった今も医療者以外が被災地の健康問題に興味を持たない、という理由にはなりません。現在に至るまで続く最もクリティカルな理由は、被災地の健康問題には「専門家」と呼べる人材がいないにもかかわらず、「どこかに専門家がいるだろう」と皆が考えてしまっている、ということだと思います。世の中には災害の専門家はたくさんいます。しかし、じつはその中に健康についての専門家はほとんどいません。というのも、災害の世界において、健康問題というのは非常にマイナーな分野だからです。たとえば国連防災会議においても、つい最近まで健康について議論されることはほとんどありませんでした。2015年に仙台の国連防災会議で採択された「仙台防災枠組」では、これまで幾度か採択されてきた防災枠組みの中で初めて「健康(health)」という文言が入った、という快挙が医療関係者のあいだで話題にのぼったほどです。その状況は災害医療でも変わりありません。医療の分野において災害医療は決してメジャーとは言えないうえに、災害医療に携わる方の多くは急性期医療の専門家であり、慢性期の健康問題はまだまだマイナーな分野に入ります。「自分は専門じゃないし、誰かがやるだろう」被災地の多くの人がそう考えた結果、被災地、特に福島県浜通りでは、被災地の格差や避難の健康影響などのさまざまな健康問題が、問題提起すらされないまま1年以上が過ぎてしまったのです。そのため、被災地の現状を知り、かつ、たまたま健康に近い専門を持つ医療者が専門外と知りつつ健康問題にも手を広げざるを得なかったのではないでしょうか。つまり、放射線も甲状腺も門外漢の医療者が被災地から医学論文を発信してきた背景には、「他にやれる人がいないけれども発信はしなくてはいけない」という切実な問題があったのではないかと思います。「我々は専門家じゃない」で済まされるのか「医療者が論文を書いて業績を上げて、不満がないのなら別にいいではないか」と、思われる方もいるかもしれません。しかし、被災地の健康問題が医学論文にばかり発信され、健康問題がまるで「医療者の特権」のようにみなされることは、今後の減災・防災において、大きな問題です。なぜなら、健康問題が医学論文にばかり報告されることにより、復興に関わる人々もまた、住民の健康は医療者に任せるものだと考えるようになってしまうからです。公衆衛生の世界ではよく言われることですが、医者は病気の専門家であって、「健康」の専門家ではありません。人々の健康はインフラ、セキュリティ、教育、一次産業など、さまざまなものに支えられており、医療はそのほんの一部を占めるにすぎないからです=下図「Dahlgren/Whiteheadによる健康を決定する主要因子」(注1)参照。つまり高度な知識と技術を提供する医療とは異なり、健康を追及するためには、その地域の人々の文化的・歴史的背景や、健康に影響を及ぼし得る食や教育、環境、生活などの幅広い知識とバランスの取れた考察が必要となります。そして、このような考察は必ずしも医療者が得意とするところではありません。「我々は専門家じゃないので」健康問題について議論をした時、私は幾度となくこの言葉を相手の方からお聞きしました。そう答えた方の謙遜や遠慮もあっただと思います。しかし、人々の健康を考えるうえで、これはとても危険な台詞です。なぜなら多くの災害は、経済・行政・医療・心理など複雑な事象が絡み合っているため、どんな人でも「専門家ではない」という言葉を免罪符に逃げることが可能だからです。皆が専門外という理由で火中の栗を拾うことを避けた結果、重要な健康問題が専門家の間で「たらい回し」にされ、他人事のように放置されてしまう。災害直後の被災地で実際に起きていたのはそういう事態でした。「福島から学ぶこと」エネルギーと環境の「専門家」の方々へ次に福島と同じような災害が起きた時、福島で起きた「災害関連死1000人」を防ぐことができるのでしょうか。門外漢である私には、原子力関係機関内部の詳しい事情を知る術はありません。しかし、エネルギー・環境の「専門家」の方々の中には、健康問題は無関係、と思っていらっしゃる方も多いように感じています。 「原子力にはかかわっていないから」 「健康は専門ではないから」 「(個人情報について)法律の専門家でないから」それはそのとおりかもしれません。しかし、それは医療者も同じことなのです。こと被災地の健康についていえば、一番の「専門家」は被災された住民や自治体です。つまり、被災地の調査・研究においては、今現在の専門性ではなく、被災地に入り、その「専門家」から学ぶ意思があるか否かが問われるのだと思っています。世の中に人々の健康につながらない専門家は、ほぼ存在しません。特にエネルギーや環境問題の目的は、人々を、社会を健康にすることそのものではないでしょうか。そういう意味で、エネルギー問題・環境問題に取り組む方々は医療以上に人の健康の専門家であるともいえるのです。さまざまな分野で鋭い考察力を持つ専門家の方々が、健康問題を他の「誰か」に任せてしまった結果、福島の貴重な学びが本当に学ばれることなく忘れられてしまう。そういう事態だけは避けたい、というのが、原発事故後の健康問題に関わってきた者としての切実な願いです。さいごに被災地の医学論文への理解を。これまで福島において医療者が社会的批判のリスクを冒しつつ発信してきた「医学論文」は、決して医療だけに資するものではありません。得られた知見や、現在医学研究が直面する社会問題を医療者だけの問題傍観することなく、少しでも自分事として共有いただければありがたいと思います。(越智小枝)(注1)DahlgrenG,WhiteheadM(1993).Tacklinginequalitiesinhealth:whatcanwelearnfromwhathasbeentried?WorkingpaperpreparedfortheKing'sFundInternationalSeminaronTacklingInequalitiesinHealth,September1993,DitchleyPark,Oxfordshire.London,King'sFund(mimeo).越智 小枝(おち・さえ)1999年、東京医科歯科大学医学部卒。東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科。東京都立墨東病院での臨床経験を通じて公衆衛生に興味を持ち、2011年10月よりインペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に進学。留学決定直後に東京で東日本大震災を経験したことで災害公衆衛生に興味を持ち、相馬市の仮設健診などの活動を手伝いつつ世界保健機関(WHO)や英国のPublicHealthEnglandで研修を積んだ。2013年11月より相馬中央病院勤務。2017年4月より相馬中央病院非常勤医を勤めつつ東京慈恵会医科大学に勤務。国際環境経済研究所(IEEI)http://ieei.or.jp/2011年設立。人類共通の課題である環境と経済の両立に同じ思いを持つ幅広い分野の人たちが集まり、インターネットやイベント、地域での学校教育活動などを通じて情報を発信することや、国内外の政策などへの意見集約や提言を行うほか、自治体への協力、ひいては途上国など海外への技術移転などにも寄与する。地球温暖化対策への羅針盤となり、人と自然の調和が取れた環境社会づくりに貢献することを目指す。理事長は、小谷勝彦氏。
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