2020年 9月 21日 (月)

倒産寸前の石原プロを立て直し 「経営者」渡哲也さんが遺した「ツートップ」の神髄(大関暁夫)

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   俳優の渡哲也さんが亡くなられました。俳優としてはもとより、故石原裕次郎さんとの二人三脚でのプロダクション運営でも印象深い方でした。

   渡さんは、1964年日活に入社し翌年主演デビュー。一躍人気を博しました。撮影所で同じ日活所属で憧れの大先輩である石原裕次郎に会い、その人柄に惹かれ日活の路線変更とともに同社を退社して石原プロモーションに入社しました。渡さんは引く手あまたの人気俳優であったわけですが、当時多額の借金を抱えて倒産寸前であった石原プロを選んだのは、苦労している裕次郎社長をそばで手伝いたいという気持ちあればのことであったいいます。

  • 石原プロ、ソニー……「ツートップ経営」の成功例はあるけれど(写真はイメージ)
    石原プロ、ソニー……「ツートップ経営」の成功例はあるけれど(写真はイメージ)
  • 石原プロ、ソニー……「ツートップ経営」の成功例はあるけれど(写真はイメージ)

貫いた裕次郎さんとの「二人三脚」経営

   渡哲也さんは石原プロの再建に向けて、同社のテレビドラマへの本格進出を積極的にリードしました。「大都会」シリーズや「西部警察」といったアクション系のテレビドラマを立て続けに大ヒットさせるなど、裕次郎社長との二人三脚で見事に立て直しを成功させ、その後は副社長として「ツートップ経営」で同社をけん引してきました。

   1987年の裕次郎社長の死後は、社長の座を引き継いで2011年まで、撮影事故や本人の病気休養などを乗り越えつつ、会社経営を担ってきました。11年の社長退任時には、「裕次郎さんの社長在任期間を越えるわけにはいかない」と、その座を退いた理由を説明。経営者として最後まで裕次郎さんへの敬意に支えられた、二人三脚を貫いた姿勢が印象的でもありました。

   社長と副社長、会長と社長という2人の経営者が役割分担しながら経営に携わるツートップ経営というのは、じつは簡単なようで難しいものです。

   実業界ですぐに思い浮かぶツートップ経営の典型的な成功例は、創業期のソニーでしょう。戦時中に知り合い、同じ夢をもって日本の戦後復興に立ち向かっていった井深大、盛田昭夫という二人のカリスマ経営者。東京通信工業からソニーに名前を変え、いよいよ大きく羽ばたかんとしていた折、13歳年上だった井深氏が社長を務め、盛田氏は副社長としてツートップ体制をスタートさせました。

   二人は共に優秀な技術者でしたが、企業を成長させていくためには、優れた技術力だけではそれを十分に果たすことはできません。早くにその点に気が付いた二人の創業者は、それぞれの役割を明確に分けることで、さらなる成長をめざしました。

   年齢で13歳年上であった井深氏に敬意を払ってやまなかった盛田氏は、井深氏に技術面に専念してもらい、自らは組織リーダーとして企業マネジメントで会社を支えることにしました。この「ツートップ」体制が功を奏し、ソニーはその後の大きな発展の礎を築くことができたといわれています。

大関暁夫(おおぜき・あけお)
スタジオ02代表。銀行支店長、上場ベンチャー企業役員などを歴任。企業コンサルティングと事業オーナー(複合ランドリービジネス、外食産業“青山カレー工房”“熊谷かれーぱん”)の二足の草鞋で多忙な日々を過ごす。近著に「できる人だけが知っている仕事のコツと法則51」(エレファントブックス)。 連載執筆にあたり経営者から若手に至るまで、仕事の悩みを募集中。趣味は70年代洋楽と中央競馬。ブログ「熊谷の社長日記」はBLOGOSにも掲載中。
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