2021年 9月 21日 (火)

福島原発事故による「内心被曝」とはいったい何だ?【東日本大震災から10年】

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原発との「シーベルト戦争」

   国はその後、屋内避難を解除したが、集落の行政区長が放射線量を測定すると、子どもが浴びて良しとする上限値を超えていた。集落は自主的に屋内避難を続けることにした。松本さんは不安になり、北に位置する相馬市への避難を決めた。廃屋を修理した貸家に引っ越した。それまで住んでいた自宅の黒板に「平成23年5月29日(日)」と書き込んだ。毎日悩みおびえた放射能からようやく逃げられるという安心感と安堵感。原発と松本さんのあいだに突然勃発した「シーベルト戦争」の「終戦記念日」だった。

   だが、それで終わったわけではなかった。夏休みが終わる頃、元の自宅が「特定避難勧奨地点」になったと通知を受け、説明会に行った。「集まった義務教育の児童を持つ家庭の放射能は、年間積算線量が20ミリシーベルトを超えると推定され、避難を勧奨するが強制力を持つものではない」と説明され、「対象家庭の児童1人につき毎月10万円の支援」が約束された。

   金銭がからむため、噂はすぐに広がり、集落では隣近所で微妙で感情的な軋轢が生まれた。最終的には周辺7行政区の全体が特定避難勧奨「地域」となり、全住民に補償がつくことで解決したという。

   その後、一家は南相馬市の「みなし仮設」に移り、子どもたちの通学も楽になった。じつは「終戦記念日」以降も松本さんの「心の中に放射能は降り積もった」。本当の終戦記念日は、長女と次女が進学のため東京に出て行った日だという。その日以来、「抜け殻」だとも。3人がそれぞれ成長した近況にも触れている。長女は今年、大学を卒業し、南相馬市にUターン。看護師の仕事に就こうとしているという。

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