スズキの鈴木修会長が引退へ 最後は「ありがとう。バイバイ」 「中小企業のおやじ」「忙しくて死ぬ暇もない」名言残し

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   日本屈指のカリスマ経営者として知られたスズキの鈴木修会長(91)が2021年6月開催の株主総会で会長職を退き、相談役に就くことになった。鈴木氏は1978年に48歳で社長に就任以来、社長や会長として、40年余りにわたり経営トップを務めた。

   かつて軽自動車は国内6メーカー(スズキ、ダイハツ工業、ホンダ、三菱自動車、スバル、マツダ)が自社開発し、小型車以上に競争が激しかった。鈴木氏はスズキをダイハツと並ぶ軽の2大メーカーに育てた。

  • スズキの鈴木修会長が引退へ(写真は、2016年5月撮影)
    スズキの鈴木修会長が引退へ(写真は、2016年5月撮影)
  • スズキの鈴木修会長が引退へ(写真は、2016年5月撮影)

未開拓だったインド市場で成果

   スズキがダイハツと異なるのは、スズキが軽自動車だけでなく、スイフトなど小型車にも強く、さらに新興国のインドでトップシェアの地位を築いたことだ。

   鈴木修氏は自らを「中小企業のおやじ」と呼び、80歳を過ぎてなお「忙しくて死ぬ暇もない」と漏らすほど、経営トップとして精力的に活動していた。

   そんな鈴木氏だが、2021年2月24日のオンライン記者会見では、

「(2020年3月に創業)100周年を超えたこともあり、(引退を)決意した。今後は現役の役員が気軽に相談できるよう相談役として全うしたい」

と述べた。

   その声は、いつになくか細く、さみしそうに聞こえた。

   鈴木氏は1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社し、創業家で2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿となった。社長就任前の鈴木氏は1970年発売の軽のオフロード4WD「ジムニー」の商品化に尽力したほか、社長就任後は「アルト」「ワゴンR」など、その時代を先取りしたエポックメイキングな軽を次々とヒットさせた。

   最近でも「ハスラー」がフォロワーを生むなど軽市場をリードしている。そんな鈴木氏は、本社所在地の浜松市に根付く「やらまいか(やってやろう)精神」を体現した経営者と言える。

   鈴木氏は海外進出でも手腕を発揮した。1982年、日本の自動車メーカーが未開拓だったインドに進出。今日まで同国市場でシェアトップを維持している。これは後述するトヨタ自動車との資本提携でも有利に働いたのは間違いない。

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