「神戸の経験」こう生かせ ひと味違う災害支援とは

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<テレビウォッチ> 15年前の阪神・淡路大震災には100万人を超すボランティアが駆けつけたといわれる。その1人である吉椿雅道(当時27才)は今、2008年5月に発生し、8万7000人に及ぶ死者・行方不明者を出した四川大地震の被災地にいる。神戸の災害救助NGOから派遣され、ボランティアを続けているのだ。番組は彼の活動ぶりを追う。

   新築ビルが建ち並び復興著しい四川省の都市部とは対照的に、周辺部は回復が遅れている。他国のボランティアが立ち去る中、残った吉椿は毎日、車で3時間かけ光明という農村に通う。当初、警戒気味で話そうとしなかった村の人もこの頃は親しく話を交わす。ひたむきにガレキの片づけをする彼の姿が村民の信頼を得るようになったらしい。

復興まで継続

   吉椿は「支援で1番の根本は被災者の声」と言う。この信念は15年前の経験で培われた。神戸入りしたばかりの頃は、被災者にどう声をかければいいか分からず無力感を覚えた。が、少しでも疲れを癒せればと足湯ボランティアを始めたところ、被災者が呟くように心の内を話してくれた。「特別の技能を持っていなくても、寄り添って話を聞いたり、一緒に泣いたり笑ったりするだけで、いつの間にか人の役に立っている」

   加えて、復興するまで継続して支援する姿勢が、神戸発災害ボランティアの国際社会での評価を高めているという。これまで、インド洋大津波に襲われたスリランカでは、子を残して働きに出る女性の声に応えて幼稚園を再建し、パキスタン大地震では、夫を失った女性たちの自立を援助する職業訓練センターをつくった、と番組は伝える。

   光明村では何が最も必要かを考えた吉椿は集会所の建設を思いつく。自分の生活を守るのが精一杯で人のつながりが薄れており、住民同士のきずなを取り戻すことが最優先だと気づいたのだ。耐震にすぐれた木造建築にして、井戸端会議ができる中庭をつくり、格安で受診できる診療所を併設する計画で、費用は、日本からの寄付金をあてるという。「僕がたった後も彼らが自主的にやって行ける」

祭り再開で笑顔

   吉椿に、もうひとつアイデアが浮かぶ。地震以来途切れていた村の祭りを、集会所の建設予定地で再開しようというのだ。準備に精を出す村人の期待も空しく、祭りの当日は朝から雨。しかし、人々はシートを持ち寄って懸命にテントをつくる。その中で民族衣装の女性たちが着飾って嬉しそうに踊りまくる。見守る人たちの笑顔も晴れやかだ。「日本のボランティアがこの村に未来の明るさを運んでくれた」と、年配の女性は涙をふく。視聴者だけでなく、吉椿にとっても、感動が刻まれたときだったのではないだろうか。

   国谷裕子キャスターによると、大地震が起きて被害が心配されるハイチへ向けても日本のNGOが動き始めたという。カリブ海の島国でも、神戸発災害ボランティアの活躍が現地の人を勇気づけることだろう。

アレマ

NHKクローズアップ現代(2010年1月14日放送)

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