2024年 5月 6日 (月)

原発を目の前に考えた…気軽に「頑張って!」と言えない福島の絶望

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福島県が消えてなくなるかもしれない

   翌日(14日)は一気に第1原発まで駆け上がる。途中、震度4の地震があり、それでなくても地盤がゆるんで道路のあちこちが歪み、陥没しているところを避けながら車を走らす。

   福島第1原発の標識を矢印方向へ曲がり、上っていく。密閉され、外の空気を入れないためにクーラーをつけない車内でも、カウンターの目盛りは上がり続ける。原発の入口で完全防護服に身を包んだ人たち(東電関係者だろう)に制止されたときには100マイクロシーベルト/毎時を超えていた。

   そこ以外では、車外と土壌の放射線量を測ってきたのだが、さすがにここでは外へ出る勇気が出なかった。ちなみにそれまでの最高値は、10㌔圏内で観測した土壌の800マイクロシーベルト/毎時だったが、それをはるかに超えることは間違いない。

   南相馬市の津波の現場では文字通り言葉を失った。有名無名を問わず、多くの人は自分が生きてきた証を次の世代ぐらいまでには残しておきたいと思うものだろう。だから写真を撮ってアルバムに貼り、旅の記録として人形や焼き物を持ち帰る。

   そうして長い間積み重ねてきた「思い出」を、津波は一瞬にして跡形もなく消し去ってしまった。何人もの人たちが、自分の家の痕跡や亡くなった人の思い出の品を捜そうと、泥で固められてしまった上を歩きながら、わずか1か月ほど前には、そこで生活し、笑い、泣いてきた家のわずかな名残りを見つけようと歩いていたが、何一つ見つけることができないとため息をついていた。

   この日の朝刊で、菅直人首相が松本健一内閣官房参与に対して、「原発周辺は20年、30年は住めない」と話したという記事を読んだ。私のような暴走老人でなくとも、目の前に菅がいたら殴ってやりたいと思うはずである。後であわてて否定したが、それに近いことは間違いなく言ったはずだ。宰相としてなどというより、人間として愚劣である。

   私の友人はいわき市と関係が深く、会津で避難所暮らしをしている市の人たちのボランティアをしているが、彼は私に早急に原発事故が収まらなければ、福島一県が消えてなくなるかもしれないと心配している。

   今回の土壌で測った値は、残念ながら私の予想を超えたものであった。浪江市などで出会った警察官たちは、ガイガーカウンターを持ちながら計測し、それがテレビやラジオで流されている。だが、私が見ていた限り、彼らの測っているのは空中のシーベルト値で、土壌を測っているところは見なかった。

   政府が発表する数値と実際計測してみた値が違うとしても、当面は影響がないのか、10年、20年後に何らかの影響が出てくるのか、私のような素人が判断できることではない。だからといって、「週刊アサヒ芸能」で評論家の副島隆彦氏が、第1原発に行って20キロ圏内でも年間放射線量は4ミリシーベルト(マイクロではない)ぐらいだから、子どもたちに悪い影響を与えることはない、「私は大丈夫だと、素人だが考える」と言い切る自信は毛頭ない。

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