宮根誠司できた女房「隠し子」にも「中絶しなくて正解や。ちゃんとやりなさい」

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   「ぼくが70才ぐらいになったときに『お前ら、集合!』って、ふたりのむすめたちを呼んで、3人で飲みたいですね」

   これは「女性セブン」のスクープ「宮根誠司(48)に隠し子!」の中で、宮根が愛人に産ませた娘と妻との間にできた娘をいつの日か会わせて、一緒に酒を飲みたいという「夢」を語った言葉である。

   「情報ライブ ミヤネ屋」や「Mr.サンデー」で司会を務める人気アナウンサー・宮根誠司に長年付き合っているA子(32)という愛人がいて、3歳になる子どもまでいるという情報が、A子の知人からセンブン編集部に寄せられた。

   取材してみると情報に間違いはなかった。編集部は宮根に取材を申し込む。宮根は困った表情を浮かべながらも、観念して彼女との一部始終を語った。

「A子さんと知り合ったのは6~7年前のことです。彼女は当時、夜のお店の接客スタッフとして大阪・北新地で働いていて、はじめはホステスと単なるお客という間柄でした。(中略)そのうち男女の関係になって、彼女の家にも行くようになりました」

   宮根は1993年に元モデルの女性と結婚したが04年に離婚している。その後、現在の妻であるB子と付き合い結婚を約束する。だからA子には「ぼくとは結婚できない」と言ってあったという。だが、結婚後にA子から電話がかかってくる。

「07年の春ごろでした。ちょうど仕事が終わって夕方ぐらいに、ひさびさにA子さんから電話があって…。単刀直入に『子供ができた』といわれました。(中略)そのとき、ぼくが一瞬でも悩まなかったかといったら、嘘になると思います。正直、『困ったな…』とも思いました。だけど、尊い命が、すでに彼女のお腹の中にいると思ったら、ぼくがそれを奪ってええんかって考えて…」(宮根)

   妻にそのことを伝えるまで1か月ほど悩んだ。意を決して打ち明けると、妻はしばらく沈黙して1時間ぐらい経ってからこう言った。

「(子供を中絶しなかったのは、)それはとりあえず正解や。あとはあなたのできる範囲で、自己責任でちゃんとやりなさい」

   できた女房である。それより前に、宮根はA子の実家を訪れて両親に頭を下げている。彼らは宮根を責めなかったそうである。女の子が生まれたとき、宮根は「ぼくにとってカノジョは宝だなって思いました」。2か月後にその子を認知している。そして昨年5月に宮根と妻の間にも女の子が誕生した。そして冒頭の言葉につながる。

なぜか後追いしないワイドショーやスポーツ紙

   私は宮根の番組をほとんど見たことがない。だがこの記事を読んで、彼の番組を見てみたくなった。この記事には読んだあとにホッとさせられる何かがある。昔、結婚式でカミさんの叔父から、こういわれたことがある。

「スキャンダルを書いても、それが出たあと、その人間からありがとうといわれる記事を書く編集者になってくれ」

   自分にはできなかったが、こういう記事のことをいうのかも知れないと、読んでいてそう思った。後日談。「週刊文春」によれば、宮根は1月6日の「情報ライブ ミヤネ屋」の冒頭、いきなり頭を下げてこういったという。

「えー、『女性セブン』さんに報じられた私どもの記事はすべて事実です」

   中身をいわないため、見ていた視聴者は何のことかわからなかった。宮根の事務所の後ろ盾にはマスコミに睨みがきく芸能界のドンがいるから、ワイドショーやスポーツ紙が後追いしないようにお膳立てしたと文春は批判している。

   同じように文春が前号でスクープした宮崎あおいとジャニーズ事務所のV6岡田准一の「不倫疑惑」も後追いするところはほとんどなかった。テレビをジャニーズ事務所や吉本興業のお笑い芸人たちが席巻し、スキャンダルさえも揉み消してしまう。全体の1%にも満たないプロダクションが電波の無駄遣いとしか思えないドラマやお笑い番組を垂れ流し、テレビ側はものもいえずひれ伏すだけである。今年はテレビ離れがますます進むこと間違いない。

平田信出頭で「国松長官狙撃事件」の深い闇に迫れるか

   大晦日の深夜、自ら17年の逃亡生活に終止符を打ち警察へ出頭したオウム真理教の平田信には驚かされた。髪型は多少違っているが整形したわけでもなく、オウムのアジトに隠れ住んでいたわけでもないようなのに、なぜ17年もの長きにわたって逃げおおせることができたのだろうか。

   それを解く鍵は、平田が出頭後に彼をかくまったとして犯人蔵匿の疑いで逮捕された元信徒・斎藤明美容疑者(49)にあるようだと各誌が書いている。「週刊新潮」によれば、当初から30代で正看護師の資格を持つ美人信者がキーマンだと睨んで、捜査員たちは彼女の行方を追っていた。96年2月15日、彼女が東京・清瀬市の友人宅に泊まりに来ることを掴んだ追跡班が、大規模な追尾作戦を展開した。しかし、彼女の防衛意識は高く振り切られてしまう。

   その後、彼女が宮城県仙台市内の割烹店に勤め、店が借り上げたアパートに住んでいたことを突き止めるが、すでに2人の姿はそこにはなかった。各誌とも情報がないために似たり寄ったりである。警察の捜査の甘さか、平田の影を全く見せない斎藤の逃亡テクニックが捜査陣を上回ったのか、それともオウムの残党たちがつくった組織が手を貸したのか、謎は深まるばかりである。

   時効になったとはいえ、国松警察庁長官狙撃事件はいまだ深い闇の中である。平田が現れたことでこの事件の全容が明らかになるのか。オウム事件を風化させないためにも平田の取り調べの今後に注目したい。

「小沢一郎の4億円『岩手めんこいテレビ』株式売却」なら違法

   今年は小沢一郎の年のようである。「週刊ポスト」の「『今年は選挙になる 俺はやる』」ばかりでなく、「週刊朝日」も「野田首相への最後通牒『民主党が変わらなければ、私が動く』」を掲載している。「サンデー毎日」はインタビューではないが、「小沢の野田ギブアップ作戦『3月民主党分裂』への道」と、小沢が政局のキーマンだとしている。

   この背景には、1月10日、11日と連続して行われた「陸山会裁判」で、小沢本人の被告人質問があったためで、どうやら多くの週刊誌は「小沢無罪」と出ると読んでいることがある。しかし、新聞で被告人質問での小沢のいい分を読んでみても、虚偽記載はどうやらお咎めなしになるようだが、4億円のカネの出所が明確になったとは到底思えない。何億ものカネを自宅や事務所に置いておくのは、他人に知られてはまずいやましいカネだからではないのか。

   こういうときはこの人に聞くしかない。小沢の政治家にあるまじき錬金の詐術を解明し、鉄槌を下すべしと、小沢の「天敵」ノンフィクション・ライター松田賢弥が健筆を振るっている。月刊誌「文藝春秋」では「公開質問 小沢一郎『全財産目録』答えてほしい。あなたの歳費だけでどうしてこの資産が買えるのか」を書き、新潮では「小沢の懐刀」といわれた元筆頭秘書・高橋嘉信のインタビューをしている。高橋はこういっている。

「私は4億円の原資は、小沢が『岩手めんこいテレビ』(以下、めんこいテレビ)の株式売却で得た裏金だと考えています。91年4月、めんこいテレビの開局に際して、彼は名義貸しによる『架空株主』を作り上げ、約30%の株式を実質的に保有した。(中略)そして、同社の会長人事をゴリ押しするなど、隠然たる影響力を行使した。その後、96年から02年までの間にその株式は間違いなく売却されている。売却額は、30億円以上の可能性もあります」

   80年代に岩手の民放は2局しかなく、どちらも盛岡市に置かれていた。3局目を小沢の地元水沢市に誘致するべく小沢の指令で高橋が動いた。小沢は郵政省への絶大な影響力使って誘致に成功し、代表陣に小沢の後援会関係者など10人を選んだが、この人たちはそのままめんこいテレビの株式30%を保有する株主になり、かくして架空株主に仕立てあげたのである。

   この話を架空株主と指摘された10人はどう答えるのか。取材すると、5名は名義貸しを認め、2名は1500株もの大量の株保有を否定し、3名は取材に応じなかったという。少なくとも5名の架空株主がいたことは間違いなく、これは名義貸しを禁じる金融商品取引法違反に当たるし、株主への課税なしに株が売却されていたのであれば、脱税の疑いもある。

   しかも、地元の悲願だったテレビ局誘致は、4年後に水沢から盛岡に移転してしまうのである。高橋は東京地検特捜部にも、「土地購入の原資はめんこいテレビの株」だと話したが、彼らはゼネコン汚職の構図で事件をつくりたがっていたらしく、彼の話を調書にとらなかった。高橋は最後にこういう。

「この問題は政治と電波が絡んだリクルート事件以上に巨悪だと私は考えます。(中略)今の小沢は日本の政治のブレーキになっている。裏金を作り、子分を作り、権力を握り、政治を堕落させ続けています。だから、私は何度でも小沢に言います。あなたは政治家を辞めるべきだ、と」

   小沢をインタビューする人間はこの記事を熟読し、逃げずに問い質す勇気を持たなくてはいけないはずである。小沢の勝手ないい分を垂れ流すだけなら、ニコニコなんとかという動画サイトと同じではないか。

斎藤佑樹は年上好き?小林麻耶と伊勢神宮参拝「結婚は否定」

   最後に日ハムの人気先行型ピッチャー斎藤佑樹(23)が年上の女子アナと「密会」していたという文春のスクープ。12月28日、三重県の伊勢神宮に斎藤と元TBSアナウンサーの小林麻耶(32)、それに群馬県に住んでいる斎藤の両親と一緒に現れたというのだ。

   伊勢神宮は式年遷都という、いわば神様にお引っ越しをしていただく作業をしていて、そのための工作場に来たために、一般の参拝者には知られずにすんだそうである。2人別々だが写真があるところを見ると、記念撮影に応じた斎藤を撮った誰かが持ち込んだ話のようだ。

   麻耶はそれ以前にも、昨年9月10日の楽天マー君こと田中将大と斎藤が投げ合って負けた試合にも駆けつけているそうだ。麻耶は取材に答えて、斎藤とは「ハンカチ王子」と呼ばれる前から仲良しであるとは認めたが、結婚については否定している。

   斎藤は昨年4月にも年上の女性とことが終わって、ぐっすり寝入っている写真が女性セブンに載ったが、どうやら年上好きのようだ。

   昨年はコントロールだけで何とか6勝を挙げたが、自分でも課題だといっている速球はスピード、切れともに見るところがなかった。斎藤のようなタイプは早く年上女房をもらって、野球に専念したほうがいいのではないか。祐ちゃん、今年こそ正念場だよ!

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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