2024年 5月 2日 (木)

原辰徳「女性の日記」ごときで1億円の不可思議―脅されてたのは別のこと?

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公訴時効超えてないのに被害届出さない巨人軍

   ここまで読んできて、おやと思う。日記は処分されたようだし、Hというのは交通事故で死んでいるそうだ。なのに山本は日記を返せと球団事務所に執拗に電話をしてきたり、原の自宅へ押しかけて行ったそうだが、何が目的だったのだろう。ただ日記を取り戻したかっただけではあるまい。まだ原から搾り取れると思ったのだろうか。球団側はこのとき初めて原の聞き取り調査を行い、ことの経緯を知るのである。

   山本は威嚇するような言葉は吐くが、金銭要求はしなかった。だが、09年12月1日、球団事務所近くの路上でガスボンベとガソリン缶を持って、「ここで腹を切ってやる」と叫び、爆発物を起爆する行為を繰り返したため、威力業務妨害の現行犯で逮捕された。公判では原の名前はもちろんのこと、原の醜聞や恐喝事件にも一切触れられず、保護観察付きの有罪判決を受けたという。

   不可思議な事件だ。巨人軍側はKは元暴力団だが20年以上前に足を洗っているし、Hは原に水産会社の名刺を出していたから、原の頭の中には暴力団と関係があるという考えはまったくなかったとしている。06年に脅されて金を払ったとき、相手が暴力団という認識がなかったというのは信じられないが、それよりも、文春が書いているように、この恐喝事件は公訴時効の7年をまだ超えていないのに、球団は被害届を出さないのは不思議である。失踪した女がらみで表に出せない何かがあるのではないかと勘繰りたくもなる。

   原監督の動きは素早かった。文春が発売される前日、以下のコメントを発表したのだ。

「ファンの皆様へ
1988年ごろ、私はある女性と関係を持ちました。女性とはまもなく連絡をたちましたが、それから約18年後、監督に復帰して1年目の2006年8月、プロ野球と関係ある人物から電話があり、『あなたの女性問題に関する日記がある。公になれば球界は大変なことになる。表に出ないよう私に任せてほしい』と言われました。
ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました。悩んで悩んで悩み抜いての苦渋の選択でした。私の個人マネジャーとは『これで終わりにならない時には球団に相談し、警察に届け出よう』と話し合いました。
その後、動きはありませんでしたが、2009年、別の男から球団に電話があり、『女性問題のことを書いた日記が監督の手に渡ったはずだ。それを返してほしい』ということでした。私は球団にすべてを打ち明けました。妻にもすぐに告白しました。一番傷つけてしまうのは妻だと思ったからでした。(中略)
私個人の不徳の致すところであり、浅はかなことをしたと思っています。たくさんの選手を指導するプロ野球の監督という立場にある人間として、深く反省しています。ファンの皆様、大変申し訳ありませんでした。
読売巨人軍原辰徳」

   また、この情報を漏らしたのは清武英利・巨人軍前球団代表だと、原は「清武さんへ」と題したメッセージも配布した。たしかに時期的にも、清武が原から相談を受けたであろうことは想像に難くない。だが、ここで清武へのメッセージを出したのは、ナベツネと清武戦争の被害者だという世論の同情を引くアリバイづくりで、誰かに入れ智恵されたのではないか。

   巨人軍は金を払った相手は暴力団ではないという理由で文春側を名誉毀損賠償請求訴訟を起こすそうだが、原が事実関係を認めているのだから、やめたほうがいいと思うがね。

   今週も長々と書いたが、いまの文春からは毎週目が離せない。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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