2024年 4月 26日 (金)

新潟水俣病から50年!いまだ認定待ち113人~未解明部分多い症状

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   4大公害病の一つ「新潟水俣病」が5月31日(2015年)、公式確認から50年を迎えたが、いまもって113人が認定を待っており、認定をめぐる訴訟も続く。医学的にもまだ未解明な部分が多く、病気の新たな事実が出てくる可能性があるという。この50年は何だったのか。

新潟県が導入「参考人制度」認定に弁護士、研究者も参加

   熊本で水俣病が確認されたのが昭和31年。新潟はその9年後だった。企業排水の水銀が魚を介して起こす水銀中毒は脳を侵す。患者の姿は世界にも伝わり、「水俣病」は公害病の代名詞になった。

   新潟・阿賀町の神田三一さん(85)と兄の栄さん(87)はおととし患者認定を申請した。手のふるえ、めまい、視野狭窄はあるが、これまで名乗ることをしなかった。患者だった父親に対する周囲の偏見を見てきたからだ。しかし、兄弟は80代も半ばになり、「生きているうちに」と申請に踏み切った。

   美しい阿賀野川を見ながら三一さんは、「汚染された魚をおいしいおいしいと食べていた。悔しいなんてもんじゃないですよ」という。

   国の救済策は遅いうえにハードルが高かった。昭和52年に出した認定基準は、感覚障害、運動失調、視野狭窄など複数の症状が条件だった。はねられた人たちの訴訟が相次いだ。国は平成7年と22年の2度、一時金など政治解決を図ったが、最高裁はおととしに「症状は複数でなくても認定の余地はある」という判断を出した。

   政府はこれを受けて昨年、指針を出して「ひとつの症状でも、魚を食べたなど因果関係が認められれば認定される」とした。新潟県はさらに審査に「疫学」思考を導入して、医師に加えて弁護士、研究者ら「参考人」が参加する新たな方式を作った。

   ただ、これも容易ではない。疫学調査では、魚を仕入れた人の名前、居住地から運搬、調理法まで50項目の記憶を呼び戻さないといけない。先の神田さん兄弟の調査書には、アユ、ウグイ、サケ、マスなどの魚の名前が並んだ。参考人の板東克彦弁護士は「93歳の人もいますから」という。

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