2024年 5月 6日 (月)

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「浅利慶太さん」本当の凄さ・・・人を自分の中に引きこんでしまう魔力

   浅利慶太さんが亡くなった。享年85。私が血気盛んな頃、この世の中にオレが適わないヤツはいないと思っていた。だが、浅利さんに会って、この人だけには適わないと思った。 演出家としての才能や新劇をカネが稼げる巨大劇団に育て上げた手腕はよく知られているが、私が浅利さんが凄いと思ったのは、人心掌握術とでもいおうか、聞いている者を彼の中に引き込んでしまう魔力を持っていたことである。

   昔、女を口説く術を教えてもらったことがある。ものにしたい女とBarのカウンターに座るときは、必ず左隣に座わること。酒が入ってきたら、女の左の腿に右手を軽く起き、彼女の眼をじっとのぞき込め。長身のイケメンで凄腕の演出家、話はすこぶる上手い。しかも"女の園"にいた浅利さんは百発百中だったのだろう。私は何度か試したが、成功したことはない。

   政治が好きな人だった。浅利さんと2人だけで「河野洋平を総理にする会」をつくり、何度か3人で食事をした。

   周りに人材を置かない人でもあった。できる人間は数多いたが、みな遠ざけられた。音楽評論家の安倍寧さんは学生時代からの親友である。ときには喧嘩して別れることがあったが、私が使者になって、仲直りさせたこともあった。仲はいいが、時としてこじれ、収拾不能になることもある。

   2014年に「劇団四季」を離れ、女優で奥さんの野村玲子さんと事務所をつくった。訃報では触れられていないが、浅利さんに「認知症」の症状が出て、四季の運営に支障が出ていると週刊誌に報じられたことがきっかけだった。リークしたのは、私は、安倍さんかもしれないと思っている。以前書いたが、参宮橋の浅利事務所へ稽古を見に行った時、浅利さんは私のことがわからなかった。ショックだったが、斑ボケだったのだろう。

   浅利さんは文章もうまい人だったが、著述集はあるが、彼が自ら書いたものは極めて少ない。もう一度会って、昔話をしたかった。残念です、浅利さん。ありがとうございました。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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