安室奈美恵にすっかり食われた小泉進次郎「沖縄知事選応援」それどころじゃなかった引退当日の『島』
浅利慶太さん、ありがとう。そしてさようなら
9月18日(2018年)、午後1時から帝国ホテルで浅利慶太さんの偲ぶ会が行われた。花に覆われた祭壇には、浅利さんの笑顔の写真とハープが一つ飾られていた。献花の前に浅利さんの若いときから最近までの映像が流れた。語っているのは演劇論。実に楽しそうだ。私も何度かお邪魔した長野県安曇野の四季の稽古場も出てきた。
ここで出された、お釜で炊いたばかりのご飯にジャコとミジンに切った下仁田ネギをふりかけ、醤油を一たらししたメシのうまかったこと、忘れられない。
築地小劇場を創立した浅利鶴雄を父に、二代目市川左團次を大叔父にもつ。慶應大学時代に既成の劇壇に反旗を翻し、「四季」を創立する。今回、渡されたパンフに、当時、浅利が先輩劇壇へ向けて書いた「三下り半」が載っている。中で先輩たちをこう批判している。
「僕らが偉大な成功を博した貴方がたの舞台に見るものは、尊敬と共に空虚さと不毛、つまり危機にさらされた演劇の姿なのです」
そして、こういい切る。「上演される作品の価値は、それが持つ『詩情』や『面白味』や『幻想』の度合いによって決定されるのではなく、作家が生きた現実の生々しい実感の露呈のうちに求められなければなりません」
若さゆえの気負いが先立っているようにも思えるが、若い頃の写真は、鋭利な刃物のような風貌である。さぞ、新劇の先輩たちからは顰蹙を買っただろうが、百万人の敵あるとても我行かんという気概に満ちていたのであろう。
四季の人たちが『コーラスライン』の中の「愛した日々に悔いはない」という歌を合唱した。そこには「好きだからこそ命燃やし すべてを捧げ生きた日々に悔いはない」という言葉がある。悔いのない人生だったと、私も思う。
浅利さん、ありがとう、さようなら。