2020年 10月 31日 (土)

東日本大震災から8年 「なぜ救えなかった!」目の前で祖父母を失った女性、故郷に帰る決断までを追った

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   東日本大震災の発生から8年。この間、被災地にあるふるさとにずっと帰れずにきた女性がいる。心の中にあったのは、あの日一緒に避難し亡くなった祖父母のこと。震災後上京し東京で働く中でも、なぜ救えなかったかと自らを責め続けてきた。その女性が震災8年を前に、ふるさとに帰る決断をした。ずっと抱え続けてきた思いとどう向き合ったのか。1人の女性の姿を通して、震災8年を見つめる。

   東日本大震災の発生から8年――。避難先の小学校体育館を襲った津波に、目の前で祖父母をさらわれた女性の8年間を取材した。故郷・宮城県東松島市を離れて働いていても、あの時のショックと罪悪感から7年11か月の間、自宅に戻れなかった女性は、今ようやく帰郷して一歩を踏み出した。

祖母は逃げ遅れた祖父の元に戻り、還らなかった

   2011年3月11日、16歳だった横田智美さん。祖父母、小学生だった妹と一緒に避難所になった野蒜(のびる)小学校にいたところを高さ10メートルの津波に襲ってきた。智美さんは妹と手をつなぎ、祖母かつ子さんの手をとってステージに上がろうとした。ところがかつ子さんは自分から手を離した。足が弱く逃げ遅れた祖父實さんのもとに駆け戻ったのだ。

   智美さんが「行ったら皆がダメになる」と踏みとどまったところへ黒い津波がなだれ込んだ。妹の体を懸命に引っ張り上げ、2人は奇跡的に助かった。しかし、祖父母は還らなかった。

   智美さんは高校卒業後に上京したが、「おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったのは自分のせい」との思いが消えず、ずっと故郷に帰れなくなった。「お父さんにあわせる顔がない」と、今でも涙まじりだ。

   理容院を営んでいた父浩さんと母浩子さんは「必ず迎えに行くから、おじいちゃん、おばあちゃんをよろしくね」と智美さんに声をかけて避難させていた。浩さんは「いちばん多感で大事な時に。心の片隅に傷があると思います」と語る。浩子さんも「つらかっただろう」と、あの時にかけた「よろしくね」の言葉が忘れられないと自分を責め続けた。

   理容院は震災4年後に再開、自宅も再建した。智美さんの部屋も用意した。ベッドには祖母手作りのベッドカバーが敷かれた。「帰るよといってはくるが、毎回ドタキャンになる。ひっかかっているなと思いました」と浩子さん。智美さんは上京以来、あの日の出来事をずっと胸にしまい続けていた。

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