2021年 1月 23日 (土)

「雅子皇后と紀子妃」どうしても喧嘩させたいらしい週刊文春と週刊新潮――勘ぐり過ぎじゃないの

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「令和」選考の大役務めたある内閣研究官――30年間調べつづけて改元見ないまま孤独死

   毎日新聞は4月1日、WEB上で「新元号『令和』考案者は中西氏か」というスクープを放った。高志の国文学館(富山市舟橋南町)の中西進館長も、明言はしないが考案したのが自分であることを否定していない。見事なスクープだったが、その情報を取るために、2011年から新元号を追いかけて極秘取材してきた記者たちの地道な努力があったことを、毎日新聞政治部の野口武則が週刊文春で明かしている。

   興味深いのは、次の元号を何にするかという大役を担ったのは、内閣官房副長官補室の肩書を持つ尼子昭彦という人物だったということだ。彼は漢籍の専門家で、独立行政法人国立公文書館統括公文書専門官室主任公文書研究官 内閣事務員という長い肩書があり、野口によれば、「元号研究官」だったという。

   多くの元号を選んでもらう学者たちに会いに行っていることはわかったが、杳として彼の所在はわからなかった。記者たちが回った学者たちも、尼子が訪ねて来たことを認めた。内閣官房幹部は尼子が書いた雑誌記事を見せると、「とうとう見つけてしまったのか」と呻いたそうだ。だが、尼子を知る関係者も「真面目で口数が少なく、同僚と飲みに行くこともなかった。漢籍だけが生き甲斐だった」と語るだけだった。

   60歳の定年直前に公文書館を退官して、内閣官房に「特定問題担当」として再任用され、非常勤で元号担当を続けていたそうだ。昨年の秋、取材班はようやく尼子の自宅を探し当てたが、住んでいたのは別人だった。

   管理人は、18年5月19日、一人暮らしの尼子が出勤しないため、後輩の内閣官房職員が訪ねてきて、亡くなっているのを見つけたという。病死だった。平成の30年間、元号一筋で取り組んできた彼は、改元を見ることなく逝ってしまったのである。悲しくもいい話だ。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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