2024年 4月 27日 (土)

眞子さんが結婚の「お気持ち」を文書で公表した。言葉は控えめだが、熱い気持ちがあふれるものだった。辛い日々の支えになったのは妹の佳子さんだけ。だが眞子さんの心は折れなかった。私が小室圭だったら、バラの花束を抱えてニューヨーク五番街を跳ね回るだろう。おめでとう!これは皇室の長い歴史に残る"快挙"である。

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高倉健が亡くなる直前やろうと決めていた映画があった。葛飾北斎だ。だが『高倉健、その愛。』になぜかこの話が出てこない。

   この人の名は少なくとも後10年、20年先まで話題に上るだろう。高倉健のことである。今月の10日が「七回忌」だった。彼の故郷である福岡県中間市で行われた法要には、親族と生前高倉と縁のあった人間が集まったが、彼が死ぬ直前「養女」にしたという小田貴は呼ばれなかった。

   小田という女性がどうやって高倉健に近づき、養女になり、彼の遺産を引き継ぐことになったのかという「謎」を追っているノンフィクション・ライターの森功は、現代で、高倉健が亡くなるわずか3か月前に、やろうと決めていた映画があったと書いている。それは、江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎だったそうだ。一度はオファーを断ったが、亡くなる少し前に、自分で車を運転して脚本家の家に来て、出演承諾を伝えたというのである。だが、その日以来連絡が途絶え、11月に突然、訃報が届いた。

   義理堅い高倉健が、なぜ、ひと言も連絡をしなかったのか。森は、小田貴が書いた『高倉健、その愛。』(文藝春秋)の中でも、この北斎について全く触れていないことに疑問を呈する。高倉健が最後の仕事と心に決めていたであろう映画について、彼女に語らなかったのはなぜだろう。『その愛。』で描かれている高倉健は、家では饒舌だったという。その彼が映画については沈黙したのは、彼女に全幅の信頼を置いていなかったからではないのか。

   フライデーで、高倉と親交のあった映画関係者が小田に、線香をあげる場所を知りたいと聞くと、「海に散骨したから海に手を合わせてくれれば」といわれたそうだ。「どこの海なのか」と聞くと、「世界中の海はつながっています」というばかりだった。ふざけた話だ。

   ファンはそれが福岡の海でも、北海道の海でも、現場へ行って手を合わせたいのだ。高倉健という俳優は一個人の所有物ではない。彼への愛が本物なら、ファンも大事にすべきである。彼の死後、生前買っておいた墓を更地にし、クルマもクルーザーも売り払い、高倉健の臭いを全て消し去ることなど、できるものだろうか。私も含めて健さんファンは怒っている。

『高倉健、その愛。』(Amazon.co.jp)
『高倉健、その愛。』(Amazon.co.jp)

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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