【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
1. 日本はインターネット黒船に気づかなかった

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「あのときの東京(1999年~2003年)」撮影 鷹野 晃
「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   インターネットのブロードバンド利用はいまや普通だが、高速化が急務だと叫ばれた時代があった。米国や韓国に後れを取り、日本の情報産業が成長するための壁になっていた。その壁が破れるきっかけのひとつが「東京めたりっく通信株式会社」(略称:東めた)である。

   1999年に設立、2001年にソフトバンクに吸収されたが、通信業界に多くの教訓を残している。その中心人物であった当時の社長、東條巌氏がその内幕を書いたのがこの物語である。

   NTTとの「闘争」、郵政省との交渉・関係の内実、KDDの思惑、孫正義氏との奇遇、銀行の「裏切り」、公正取引委員会の動きなど、数々のエピソードが実名で明らかにされている。

   会社の消滅後も残っていた同社のADSLサービスは2003年6月30日に打ち切られ、Yahoo!BBに静かに移行された。まだ、5年前のことである。

   (当時の関係者の多くは現在、通信業界、官界の中心で活躍しています。修正、補足の情報をぜひ、コメント欄に寄せてください。J-CASTニュース編集部)

1 日本はインターネット黒船に気づかなかった

   嘉永六年、日米通商を求めて浦賀に姿を現したペリー率いる米国の東インド艦隊は目に見える黒船艦隊であった。その後150年以上にわたって米国は日本に対し、次々と繰り出す黒船によって目に見える国で在りつづけた。日米戦争も、戦後復興も、日米安保条約も、高度経済成長も、そして東西冷戦後のグローバル時代にあっても、日本はいやがおうでもこの「見える黒船」とどう向き合うかを国政の中心に置いてきた。

   しかし 1990年代に入り例外が生まれた。米国が情報通信技術(ICT)の力を借りて成し遂げた巨大な社会構造的な変貌、すなわちインターネットというコミュニケーション革命は、日本に一気に普及するに及んだがこれは目に見える黒船ではなかったのである。それというのも、米国は日本に対し、民主主義や国防通商政策のようにインターネットを制度として強制はしなかったからである。

   そしてまた、日本も、絶えず米国に興る新たな社会変革の消化と導入に国をあげてあれほど虚心に貪欲かつ系統的に傾注してきたのもかかわらず、ことインターネットに関しては、驚くほど無関心であり無感動であった。まだ江戸幕府の方がましな危機感を持っていたとすら言えよう。

   ではインターネットは黒船ではないのであろうか?そんなことはないだろう。むしろ強制されず意識に上らなかっただけに、それだけいっそうその影響は甚大、10年もかからぬかつてない短期間に全面普及し根底的に日本社会を変えてしまった。電子メールやブラウザのない社会生活や経済活動は今や考えられないまでになっている。

   少なくとも民間においては、かつてない規模と深さをもった黒船であったはずである。電子政府という構想も、この民間への普及の後追いでしかなく、ここでは国家政策は完全に既成事実の追認であった。

   日本の周辺国のインターネットへの対応は日本とまったく違っていた。韓国と中国の両国の為政者はインターネットを黒船の到来と見て、国策として意識的に上から取り組んだ。韓国政府はインターネットの優等生国家となる道が経済発展の駆動力と位置付けADSLの普及を奨励しインターネット接続のためのブロードバンド通信革命をいち早く達成し、電子自治体政府の模範生となっている。

   中国共産党は、その実用価値と世界性とを抜け目なく評価し、国内世論の統制手段として普及を容認しながらサイバー戦争と経済戦争とに備えようとしている。言論の自由の手段という本来のインターネットは異質のものになりつつあるが、それでもインターネットビジネスには貪欲である。

   日本はどうなっていたのか。90年代前半、合言葉のようにマルチメディアの夢が飛び交いブームは加熱したが、実態は何も残らなかった。日本のキャプテンシステムは、北米のナプルプス、フランスのミニテルと同様に不発のまま、官製のメディア革命は大手通信キャリアの総括なきデモンストレーションとして終焉していた。

   そしてこの失われた 10年は、NTTを盟主とあおぐ日本の情報通信産業主流派(日電、富士通、日立)をほぼ死に体へ、すなわち安楽死を用意する太平の眠りへと導いたのである。2000年、森内閣がIT国家戦略会議」を発足させ「IT立国」の旗を振ったときの国策は、インターネットで米国に追いつき追い越せ、格下の韓国に負けるなといった、後進国意識丸出しで明治政府以来のなじみの檄文が飛んだに過ぎなかった。

   この時すでに攘夷論開国論の対決をとうに済ませて、黒船は無血上陸に成功していたのである。パソコンネットを前駆として商用インターネットは90年代後半に急成長し、国内のインターネット人口はすでに 1998年には一千万を突破していた。

   だが、料金といいスピードといいその利用環境は劣悪であった。ブロードバンド化されていなかったのである。

   それでもこの人口に達するまでに導いたのは、100%民間の覚醒した力であった。この覚醒した力とは、日本の財界主流でもなく、しかも通信産業の元締めである NTTや第二電電系の大手通信キャリアでもなかった。

   日本の学閥からいえば非主流である情報通信系の少数の学術研究者たち、そしてすでに UNIXを情報システム構築に適用しインターネットの通信プロトコルTCP/IPに通じていた小規模のベンチャーソフトウエア会社群であった。

   彼らには黒船がはっきりと見えていたのである。黒船は必ずしも武装してくるとは限らない。

   いち早く商用インターネットを普及させ通信を通信装置から通信文化に置き換えなければITビジネスで日本は負ける、この危機意識と情熱がこれら覚醒した少数派をして商業ベースのインターネットサービスプロバイダー(ISP)の発足を踏み切らせていた。

   しかし日本のISPの発足は簡単なものではなかった。政府、財界、通信キャリアの無理解と無関心のもと、茨の道を歩まねばならなかったのである。

   東京めたりっく通信(株)(以下、TMCと略称することがある)が 1999年夏ADSLをかかげて日本のブロードバンド通信サービスの草分けとして登場するまでの日本のインターネット商用サービスの創生期について、この序章で簡単にスケッチしておきたい。

   それというのも、これらISPの苦悩の産物がTMCに他ならないと私は実感しているからである。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

「連載にあたって」はJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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