【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
4. 泣く泣く米国ISPに売られる

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「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   すでにTnetが事業展望を失いかけていた1998年11月の一夜、高橋徹氏に替わってTnet社長に収まっていた田尾氏から、創立時取締役で主要株主の経営者である4人(木下、石井、下村、東條こと筆者、昆野氏は脱落)に新宿のとある中華料理屋で相談があるという呼び出しがかかった。セコムが Tnet持株の全てをPSIネットに売却することとなったということをその場ではじめて聞かされた。

   その時点で、セコムはすでに70%以上Tnet株式を所有しており取締役会の過半数を握っていたから、反対のしようがない言い渡しであった。創業以来の4年にわたる赤字経営で生じた資金枯渇をセコムの出資や信用に頼っているあいだに、この会社のベンチャー創業者民主主義はすでに終焉していたのである。

   PSIネット(以下、PSI)は米国発ISP老舗であり、創業者のシュレイダー会長が率先して世界中のめぼしいISPの買収にかかっている最中であった。日米海底ケーブルや各国への光ファイバー施設などのインフラ事業にも乗り出していた。ITバブルが始まっていたのだ。

   日本ではTnetに白羽の矢を立てたという。法人ユーザーが過半であるので成長性に魅力を感じていると説明があったそうだ。

   田尾社長の相談とは、相談ではなく通告であった。我々も一緒に株を売りませんか、ということであった。たしかに交渉力は増すし売却株価も高くなる。事態がこうなっては、我々もこのセコムに追随せざるを得なかった。

   世界規模外資PSIで少数株主の地位を確保したとしても、何のメリットも生じないことは明白であった。

   一方で、額面の十数倍以上の値で持株を売れば、セコムで数十億円、我々でも2、3億円といった株式譲渡益を得ることができた。

   こうして、1998年の末をもって、Tnetはその輝かしいが苦難に満ちた4年間にわたる活動に終止符を打った。最後の仕上げは、UBA会員を主とする 20社ほどの零細株主の株式譲渡の同意であった。私が走り回って譲渡契約をとりつけ、これでPSIによる全株買い取りが実現した。金銭上の結果から見るなら目出度い始末記となった次第である。

   しかしながら、結局は「超優良大企業」の手の内で踊っただけではないかという自嘲感が我々創業者に残らなかったわけではない。

   おりから、世を挙げてインターネットベンチャーのブームに沸き立っていた。Tnet株の売却益を少々でも持ち寄って、今度は「投資家」の立場で共同出資による「ベンチャ-ファンド」を興そうではないかという声が自然と生まれた。

   ここに、上場企業の「マクニカ」や「ウッドランド」も合流して、「東京エンジェルズ(株)」が1999年の夏に発足することとなるのである。しかしこれは別の物語であるからこれ以上は割愛する。

   また、Tnetの終焉とともにUBAにも新しい活力や連帯が生まれ、「オープンテクノロジー」の三田社長を新会長に選び、この年の景気対策補正予算の通産省枠のうち10億円ほどを獲得することにも成功した。このあたりは、後の物語にもからむことなのでそこで触れたい。

   最後に、私の個人的な感慨は次のようなものであった。すでに会社の支配権を失っていた以上は、この買収劇に抗すべき道はなかった。むしろ、田尾社長の決断をたたえるべき筋合いかもしれない。しかし、流産寸前だった日本のブロードバンド通信革命を通して私の認識を直撃した日本の通信ネットワーク社会の病根がこれで絶たれたわけではない。

   初期の目的であった価格破壊はまだその端緒についたに過ぎないだろうと思われた。(今では信じられないが)たった64kあるいは128kというスピ-ドで常時接続のインターネットサービスを受けるだけでも、10万円台の毎月出費が必要となる。

   はたしてこれが正常と言えるだろうか?何かが狂っている。その元凶が、NTTのデジタル専用線の体系とその価格政策にあることは間違いなかった。

   公衆回線(一般電とISDN)も依然として日本独特の従量制料金のもとにあることは、何かの冗談かと思われた。

   したがって、私の自由になる数理技研が得た株式売却益と中途半端ながらの私の経営体験とを、この狂気と冗談の終了に向けて投入しなければ、なんの顔(かんばせ)が在ろうか?こうした考えはとくに私に強かったようだ。素直に喜べなかったのである。

   多分、私にはすでにテーゼがあったからであろう。

   次回から詳細に既述するように、長野県での一連のADSL利用実験というプロジェクトをTnetとは独立に進めており、ADSLで世の中はひっくり返るかもしれないと、密かな期待を抱いていたのである。

   その意味で、 Tnetの興亡は、東京めたりっく通信を誕生させるに不可欠な過程であったという事ができよう。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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