2024年 4月 19日 (金)

吉田所長の命令に違反して福島第二原発へ「撤退」 朝日新聞記事を、ジャーナリスト門田隆将氏が批判

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   福島第一原発の所長を務めた故・吉田昌郎氏が、政府事故調査・検証委員会に語った「調査報告書」をもとに報じた朝日新聞の記事に、ジャーナリストの門田隆将氏が疑義を呈している。

   朝日の記事では、2011年3月14日から15日午前にかけて、2号機が危機的状況になったことを受けて、所員700人の9割にあたる約650人が吉田氏の「待機命令に違反」し、福島第二原発へ「撤退」したとされている。だが生前の吉田氏にインタビューした門田氏によると、それは事実ではなく、命令に従って退避したのであり、朝日の記事は「逆」だと批判している。

「福島第二に『行ってはいけない』とは全く言っていない」

   朝日新聞は2014年5月20日に特集企画「吉田調書 福島第一原発事故、吉田昌郎所長の語ったもの」を新聞本紙のほか、デジタル版でも配信している。朝日新聞は、非公開になっている政府事故調の吉田氏へのヒヤリング記録、いわゆる「吉田調書」を入手、それをもとに記事を掲載した。

   問題になっているのは、記事の中の以下の部分だ。

「東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある」

   これに門田氏が2014年5月31日付けの自身の公式ブログなどで異を唱えている。生前の吉田氏に「ジャーナリストとして唯一、直接、長時間」のインタビューをした人物だ。調書の記述を読んでも「『自分の命令に違反』して『撤退した』とは、吉田氏は発言していない」と指摘する。

「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しい」

   デジタル版には、3月15日に2号機が危機に陥り、約650人が退避したときのことを振り返る吉田氏の発言が掲載されている。

「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」

   この記述を見ると、命令に違反して撤退したという大げさなものでなく、伝言ミスだったことがわかる。しかも、以下のくだりでは結局「第二」に行ったのは正しかったとも言っている。

「いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」

   門田氏はブログで上記発言を引用しながら、「吉田所長は福島第二に『行ってはいけない』とは全く言っていない。むしろ、その方がよかった、と述べている。これのどこが『吉田所長の命令に違反して、現場から退避した』ことになるのだろうか」と朝日新聞を批判する。

「福島第一構内に残れ、と吉田さんが本気で言うはずはありません」

   さらに、吉田氏による第一原発構内での待機命令が実際にあったのかという点でも、門田氏の取材結果とは食い違っている。朝日新聞の記事では、

「午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した『第二原発への撤退』ではなく、『高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機』を社内のテレビ会議で命令した。『構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう』」

としている。一方、門田氏は自身の取材をもとに、J-CASTニュースにこう答える。

「そんな言葉を吉田さんが本当に使ったんですか。吉田調書にそれが出ているんでしょうか。それなら、なぜ直接表現で朝日は吉田調書を引用しないんでしょうか。仮に吉田さんが午前6時42分にそれを言っているとしたなら、それは、テレビ会議上のパフォーマンスでしょう。というのも、その直前に菅直人首相が東電本店に乗り込んで、"撤退したら東電は100%つぶれる。逃げってみたって逃げきれないぞ"と、ものすごい勢いで演説し、それをテレビ会議を通じてみんなが聞いていたわけです。その直後に、皆を退避させるわけですから、吉田さんが菅さんのことを意識して、いろいろな表現をした可能性はあるでしょう」

   しかし、と門田氏はこう続ける。

「いずれにしても、すでにその時間は、多くの職員が緊対室を出たあとのことですよ。その時に免震重要棟にいた総務、人事、広報、女性職員等々の700人近い人間は、吉田さんの退避命令で、どっと出ていったわけです。そのあとで吉田さんはテレビ会議上のパフォーマンスとして、いろいろな発言をした可能性はあります。しかし、福島第一構内に残れ、と吉田さんが本気で言うはずはありません。サプチャン(格納容器の圧力抑制室)の圧力がゼロになったら損傷を受けているに違いないと思うので、第一の構内に残れ、などという命令を出すはずがないのです。そもそも防護マスクの数がまったく足りません。吉田さんは6時30分ごろに、すでに『各班は、最少人数を残して退避!』と言いました。その後は『フクシマ50』と呼ばれた69人の他には、ほとんど残っていなかったはずです」
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