2024年 4月 19日 (金)

大地震ハイチで結核と闘う日本人女性医師83歳の清々しさ

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   「ハイチのマザーテレサ」と呼ばれる日本人女性がいる。須藤昭子さん、83歳だ。結核専門の医師であり、カトリックの修道女でもある。カリブの最貧国ハイチで、30年以上も医療支援を続けてきた。

診療所壊滅「30年前よりもっとひどい」

   1月の大地震のとき、たまたま帰国中だった。先月20日やっと現地に戻った須藤さんにカメラが同行した。その眼前に展開した光景は想像を絶するものだった。

   宿舎だった教会は全壊していた。「4階建ての建物だったんですよ。一瞬にしてこれでしょ」と須藤さん。同僚や患者たちは無事か。幸い、仕事場の国立結核療養所の大方は無事で、患者とも再会を喜び合った。

   が、療養所の建物は惨憺たる有様だった。倒壊の恐れから病棟は閉鎖され、患者たちは仮設テントの中にいた。軽症の患者は退院させ、代わりの患者が入ってもいた。須藤さんは危険を感じた。

   「まだ菌があるんだから」出すべきではないし、退院して薬をやめるのが怖い。多剤耐性結核菌――薬の効かない菌になってしまう可能性が高いからだ。懸念は現実のものになっていた。薬の効かない患者が6人、隔離されていた。

   「ここから先は危険です」と須藤さんも立ち入りを止められた。ハイチ全土では1000人を超すともいわれる。

「テントが密集している中で、どれほどの菌がばらまかれているか」

   ハイチへ来たのは49歳のときだ。原点は戦後の日本だった。医学部の学生だった須藤さんは、不治の病といわれた結核を、外国の医師たちが治療するのを目の当たりにした。「いつか恩返しを」と思い続け、結核が下火になった70年代半ば、依然として「死の病」だったハイチを選んだのだった。

   ハイチは人口600万の島国。かつては豊かな農業国だったが、90年代の軍政下に国連の経済制裁を受けて農業は壊滅した。農民は現金収入のために、無秩序に森林を伐採して炭を焼いた結果、国土は禿げ山になった。大雨による土砂崩れが頻発、土地を失った農民が都市のスラムに流れ込む。

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