2024年 3月 30日 (土)

福島・双葉病院の悲劇―原発事故避難で死亡した50人の寝たきり患者

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   福島第1原発から5キロにある双葉病院と病院が運営する介護老人保健施設で、3月の事故直後に起った悲劇は、当時あまり大きくは報じられなかった。津波の被害があまりに大きかったからだ。

移動バスの中で「座ったままなくなっていた」

   双葉病院と施設には180人の患者がいた。多くは寝たきりや介護が必要な高齢者。本来、移動はできない人ばかりだ。そこへ3月11日、 いきなり政府の緊急避難指示が出た。スタッフは院長以下17人だけ。バスが来たのは12日。まず自力で歩ける患者を送り出した。その直後に1号機が爆発した。病院は患者を自衛隊員に託す。混乱の中で13日から翌未明にかけて4人が亡くなった。

   避難先は30㌔離れた保健福祉事務所。すでに他の施設からの高齢者が800人もいた。そこで20キロ南のいわき市の高校を目指したが、20キロ圏内は通行禁止で、バスは大きく迂回して200キロを6時間をかけて走った。この移動と到着後に46人が亡くなった。出迎えた看護師は「座ったまま亡くなっている人が真っ先に目に入った」という。点滴の管理もなく、タンの吸入もできず、水分の欠乏、ショックなどだった。

   岩手・大舟渡の老人施設では、中庭に患者を集めたところへ津波が襲い44人が亡くなった。生き残ったスタッフは「あのとき、ああしていれば救えたのに…」という思いがいまも消えない。全国老人福祉施設協議会の調査では、東北の被災3県で避難の際に200人が亡くなっていた。

   先頃開かれた福祉関係者のシンポで注目されたのは、犠牲者を出さなかった施設の体験だった。宮城・岩沼の赤井江マリンホームは海岸から250メートル、津波に襲われたが、49人の寝たきり老人は全員無事だった。皮肉にも、「避難計画にしばられなかった」ためだった。

   マリンホームの避難計画では、避難先は15キロ離れた介護施設になっていた。車イス用の車 にマットレスを敷いて、2、3人 づつピストン輸送するしかない。ラジオの津波警報では猶予は1時間だった。そこで移動先を1.5キロ離れた仙台空港にした。40分で49人全員を搬送し終わった。津波が来たのはその20分後だった。「自分たちで守ることだと気づかされた」とマリンホームのスタッフは言う。

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