2024年 4月 20日 (土)

「被災地の姿残して伝えたい」記録し続ける福島の高校放送部員

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   東日本大震災で被災した自分たちの状況を記録し続けている高校生たちがいる。大人とは違う高校生の視点で、1000年に1度といわれる大地震と津波、その後の原発事故で何を考えたのかを記録しておこうというわけだ。福島県立原町高校放送部の生徒たちが取り組んでいる。

原発処理作業から帰ってきた父の姿

   原町高校は福島第1原発から30キロ圏内の南相馬市にあって、震災直後から学校は休校となり遺体検案所となった。震災から3日後の3月14日、福島原発が爆発したため自宅待機地域に指定されたが、不安がる生徒たちに先生たちは何の説明もできなかった。放送部員の一人は当時の状況を、「原発は安全だと思っていた。こんなことになるとは思わなかった。すぐに戻ってこられると思ったから、避難した」と語る。学校が再開されてからも、放送部員・沼能奈津子さんは「震災や原発事故を思い出したら5秒で涙が出る」と話す。

   すぐに学校へ戻れると思っていたがそれは叶わず、5月に授業は再開されたが2か所のサテライト校に分かれ、転校を余儀なくされた生徒は半数に及んだ。残った生徒たちの間にも、サテライト校か、自宅学習かでわだかまりが出始めた。

   そこで放送部の2年生7人が、震災と原発事故に翻弄される自分や家族の姿を記録し始めた。部員の一人の大浦美蘭さんは、原発事故の処理作業から久しぶりに帰宅した父親の姿を記録した。高山風優香部長は「避難生活の中で何ができるかを考えた。今の自分たちの姿を伝えたかった。頑張るという姿を残しておきたかった」と胸中を打ち明ける。こうして作られた映像記録はドキュメンタリー作品にまとめられ、昨年のNHK杯放送コンテストで発表された。

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