衆院総選挙から8か月で政権を投げ出すことになった鳩山由紀夫首相は、正式な記者会見ではなく、党内の両院議員総会で辞意を表明した。総会の場で20分にわたって行われたスピーチに対しては、「こんなに感情が出ていたのは初めて」などと肯定的に評価する声がある一方、違和感を表明する声も続出している。問題とされたのは、「聞く耳を持つ」という表現。「上から目線だ」と、不快感を持つ人も少なくなかったようだ。鳩山首相は2010年6月2日10時過ぎに始まった両院議員総会のスピーチの冒頭で、「私たち政権与党のしっかりとした仕事が、必ずしも国民の皆さんの心に映っていない。国民が徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった」と支持率低下の背景について語る一方、終盤のクリーンな民主党の再生を訴えるくだりでは、「必ず、そうなれば国民の皆さんが新たな民主党に対して、聞く耳を持っていただくようになる」と述べ、2回「聞く耳」という言葉を使った。念のため確認しておくと、「広辞苑第6版」には「聞く耳持たぬ」という項目があり、意味は「相手の言うことを聞こうとしない」とある。うがった見方をすれば、「政権自体はきちんと仕事をしているが、それを国民が評価しない」とも受け取られかねず、違和感を持つ有権者も少なくなかったとみられる。ぶら下がりでも連発鳩山首相のスピーチの表現にも疑問の声が上がっている(10年5月28日撮影、代表撮影)だが、この「聞く耳」というフレーズは、決して「言い間違い」のたぐいではなかったようだ。18時過ぎのぶら下がり取材でも、「途中で(政権を)投げ出すのは良くないと思っていた」としながらも、「ただ、国民のみなさんが鳩山政権に対して聞く耳を持たない。聞く耳を持たなくなったと、そのように言われました」と、第3者からの指摘が退陣のきっかけになったことを「聞く耳」表現を使って明かした上で、「国民と一体となって歩むのが新政権でなければならないのに、その新政権が国民の声と遠くなるとか、あるいは国民のみなさんが聞く耳を持たなくなってしまったとすれば、これは立ちゆかなくなると…」「国民に信を問わずしても、問わずとも、国民のみなさんが聞く耳をもってくださるようになれると、そのように信じたからであります」などと「聞く耳」という言葉を繰り返した。記者たちも、さすがに違和感を持ったようで、「なぜ国民が聞く耳を持たなくなったのか。総理の言葉の軽さ、総理の言葉への不信がなかったのか」と質すと、鳩山首相は、「聞く耳を持たなくなった理由」として「普天間問題」「政治とカネ」の2点を挙げた上で、「基本的には、こういったことが国民の皆さんが私に対して、あるいは政権に対して聞く耳を持たなくなった原因だと思います」と、同様の説明を繰り返した。「私たち国民のせいですか?」この言葉遣いをめぐっては、野党やマスコミからの批判も多い。自民党の大村秀章衆院議員は、ツイッター上で「ただ唖然の一言です。あなたは何の為に政治家になったんですか。何をしたかったんですか。その無責任さに改めて怒りを覚えます」と批判したほか、6月3日のテレビ朝日の情報番組「スーパーモーニング」では、「『上から目線』なのでは?」との問題提起があり、出演者からは「私たち国民のせいですか?」(東ちづるさん)「そうかな?むしろ自虐だと思った」(やくみつるさん)「本人は自虐のつもりで言ったのかも知れないが、もう少し違う言葉があった」(三反園訓・テレビ朝日コメンテーター)と、賛否両論が入り乱れた。新聞各紙に目を転ずると、日経新聞1面のコラム「春秋」では、スピーチの「聞く耳」のくだりを「悲しげな叫び」としながら、「その中に、本人だけが誠実のつもりでいて周りにはちっともそう見えぬ悲惨が垣間見えた」と皮肉ったほか、読売新聞の社説は、「国民がほとんど耳を貸さなくなったのは、首相自らが招いた結果だ」と切り捨てた。
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