2024年 4月 28日 (日)

落合監督「奇跡の逆転連覇」でも解任 なぜ「復帰コール」が起きない

   退団する監督が逆転優勝に導くという前代未聞の快挙をやってのけた。2011年10月18日、セ・リーグを制した中日の落合博満監督である。しかも球団初の2連覇。まさに「男の意地」を示した格好だった。

   優勝決定は引き分け、という渋いものだった。横浜相手に延長10回、3-3。10月6日に首位に立ち、10日からのヤクルト4連戦に全勝し、そのままゴールインした。一時は首位ヤクルトに10ゲーム差をつけられていただけに、見事な逆転連覇だった。

   「最後まで競った戦いは、今シーズンのウチを象徴しているのではないか」と総括した落合監督。対ヤクルト4連勝の後の巨人に3連敗したのは「ある程度は想定していた」と振り返った。大詰めでの計算は、ぎりぎり優勝だったというのである。

   長く首位をキープしながらひっくり返されたヤクルトの小川淳司監督は「力の差」を素直に認めた。また中日に勝ち越した巨人の原辰徳監督は「中日は投手陣がよかった」と、守りの差を重視した落合野球を高く評価した。

ヤクルト追撃の体制整った時期の退団発表

   誰もがNo.1とたたえる監督だが、既に退団することが決まっている。かつて優勝の後に退団というケースはあった。しかし今回は退団発表をしてからリーグ優勝という不思議な、異常な事態が起きた。いったい何があったのか。

   「落合監督とは来季の契約はしない」と球団が発表したのは9月22日、ナゴヤドームでヤクルト戦の前だった。戦力を整え追撃態勢に入っており、優勝の可能性があった時期だっただけに、唐突感は否めなかった。退団理由は「(今季で)契約切れ」。ところが「落合監督では観客動員にかげり」という陰の声もある。いくら勝っても儲からない、ということらしい。

   発表については球団と落合監督の間でもめたという。「選手に知らせておきたい」と迫る球団に対し、落合監督は「大事な時期なので試合に専念させてほしい」と拒否。球団はそれを押し切って会見した。

   想像するに、球団は「逆転優勝がありうる」と考え、ヤクルト戦に勝たれると既定路線の退団が消える、として発表を急いだのだろう。だから、決定事項として次期監督・高木守道氏の名前も合わせて明らかにしたのだと思う。「落合切り」を行うには絶妙のタイミングだったといえる。

「オレ流」では「中日文化」が守れない?

   落合監督と球団、親会社とは決して一枚岩ではない、と前々からささやかれていた。「オレ流」といわれるように落合監督の個性は強い。孤高の存在になっていた。中日のOBたちともしっくりいっていなかったのも事実。メディアの対応も最小限だった。「落合監督は、プロは勝てばいいんだろ、との態度に見られていた。中日という球団はOBを大切にするからOBの意向が強く、そのOBは愛想のない落合監督と距離があった」と中日関係者から聞いたことがある。

   確かに落合監督は、従来の野球人と異なる言動がしばしばあった。プロ野球選手会が労働組合を作ったとき脱退。その選手会が勝ち取ったフリーエージェント(FA)制度を利用して移籍し、大金を手にした。2000本安打を記録したときは名球会への入会を断っている。こういった出来事が「オレ流」といわれるゆえんなのだろう。自分の生き方を明確にしている点はプロらしいと思うが、扱いにくいとの批判があったのも本当だ。

   後任監督はOB会の会長である。高木氏は70歳と高齢。監督要請があったとき「青天のへきれきだった」と言ったように、だれもが驚く人事だった。球団は大物OBを充てることによってファンの批判をかわしたとも受け取れる。球団とOBの連合軍が今回の退団劇の構図と分かる。もし日本シリーズで勝ったとき、落合復帰コールが起きるかどうか注目される。

(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)

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