2024年 3月 29日 (金)

「奇跡の一本松」の陰で復旧を待つ、もうひとつのシンボル【岩手・陸前高田発】

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「道慶翁碑」がある石碑の前で花の手入れをする紺野さん(左)と熊谷さん=陸前高田市高田町森の前で
「道慶翁碑」がある石碑の前で花の手入れをする紺野さん(左)と熊谷さん
=陸前高田市高田町森の前で

(ゆいっこ花巻;増子義久)

   ナルビア、マリンゴ-ルド、コスモス、ベコニア、ヒマワリ…。陸前高田市高田町森の前の通称「五本松」地区の一角。庚申供養塔など倒壊した石碑が無残な姿をさらけ出す道路沿いに、そこだけが別世界のように色とりどりの花が咲き乱れていた。その一つに「道慶翁碑」と刻まれた石碑も。「この地には道慶さんの遺言が伝わっているんです。だから…」。汗を滴らせながら、花植え作業をしていた近くの主婦、紺野勝代さん(68)がそう言った。


   震災前、「五本松」地区には約160世帯が住んでいたが、一軒残らず津波に流されてしまった。犠牲者も150人以上にのぼり、一家が全滅した家も。瓦礫(がれき)の荒野に呆然と立ち尽くした地区の人たちはふと、400年近く前の道慶翁にまつわる物語を思い出した。「道慶さんの遺言を無にしてはいけない」


   かつて、この地では気仙川を挟んだサケ漁の紛争が絶えなかった。寺子屋を開くなど子弟の教育にも力を尽くした郷土の篤志家、道慶翁は86歳の時、「首が西岸に、胴体が東岸に流れ着いた暁(あかつき)にはいさかいはやめ、以後、仲良くするように」という遺書を書き残して自害した。両岸の漁師たちは最初のうちはバカにして取り合わなかったが、実際に遺体は遺言の通りに流れ着いた。びっくりした両者はすぐに和睦を取り交わした。1644年(正保元年)のことだという。


   「亡くなった人たちの供養と被災地の未来のために花を植えよう。そのためにはみんなの心がひとつにならなければ…。今こそ、道慶翁の教えを生かさなくては」。紺野さんや元教員の熊谷薫さん(75)ら仮設住宅に住む被災者たちの花植えが始まったのは5月中旬。この話を伝え聞いた南は福岡、北は北海道の支援者から苗や種などが続々届いた。ボランテイアも全国各地からかけつけた。16日は「ゆいっこ花巻」の橋渡しで訪れた長崎大学のボランティアグループ19人も土壌改良剤の散布や草取りの手伝いをした。


   熊谷さんも震災で奥さんを亡くした。「道慶さんのお墓も倒れたまま。ここの翁碑も一刻も早く真っ直ぐに立て直し、奇跡の一本松と合わせて陸前高田はひとつだということを全国にアッピールしたい」と熊谷さん。いつまでも手を振って別れを惜しむ紺野さんらの姿に長崎大学経済学部3年の今川裕香さん(20)が涙をながしながら、ポツリとつぶやいた。「岩手の人々の心の優しさ、歴史と風土の厚さに感動した。これが本当のエネルギーの力強さなんだと」

「一日も早く元の姿に…」と熊谷さんが願う道慶翁の石碑=陸前高田市高田町森の前で
「一日も早く元の姿に…」と熊谷さんが願う道慶翁の石碑
=陸前高田市高田町森の前で


ゆいっこ
ゆいっこネットワークは民間有志による復興支援団体です。被災地の方を受け入れる内陸部の後方支援グループとして、救援物資提供やボランティア団体のコーディネート、内陸避難者の方のフォロー、被災地でのボランティア活動、復興会議の支援など、行政を補完する役割を担っております。
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