2024年 5月 3日 (金)

「黒子のバスケ」被告の暗い「投げやり」人生 いじめ被害、人間関係なし、ワープア生活、実刑に「喜んでおります」

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   人気漫画「黒子のバスケ」を巡る連続脅迫事件で、威力業務妨害の罪に問われた渡辺博史被告に求刑通り懲役4年6か月の実刑判決が言い渡された。法定刑の上限いっぱいという厳しい内容だ。

   だが本人は「もう娑婆に出たい気持ちがない」「今回の判決に喜んでおります」と、むしろ満足な結果ととらえているようだ。インターネット上に公開されているこれまでの裁判での発言から、被告の人物像を探った。

小学校でのいじめ原因で30年に渡り自殺を思い続けた

東京地裁の実刑判決がそのまま確定するか
東京地裁の実刑判決がそのまま確定するか

   渡辺被告の判決は2014年8月21日、東京地裁であった。本人のコメントを、月刊「創」の篠田博之編集長が自身のヤフーの個人ブログで紹介している。篠田編集長は、被告本人とこれまで何度も接見を重ねてきた。

   実刑に不満どころか「喜び」を示し、むしろ4年6か月という期間で「一般予防の効果があると検察が本気で考えているのなら、それはお笑い草」と挑発的で、「黒子のバスケ」の作者や被害企業、作品のファンに対して謝罪の気持ちは一切ないと断言している。「事前に購入したお菓子でささやかな実刑判決のお祝いをします」とまで言ってのけた。これを受けて篠田編集長は、「やや意識的に偽悪的な、世の中の反発を敢えて喚起するような内容だった」と述べた。

   長期間にわたって、出版社や大学、書店などに執拗に脅迫状を送り続けた被告。逮捕時には警察に「負けました」と告げ、薄ら笑いを浮かべて連行される映像が流れた。いったいどんな人生を歩んできた男なのだろう。

   篠田編集長は、被告の冒頭陳述や最終意見陳述の全文も、ブログ上で閲覧できるよう公開している。3月13日の初公判では、本人が長文を用意してきたが時間の関係で全文は読まれなかったそうだ。最初に「すべての責任は自分にあります」と全面的に非を認め、そのうえで自分の身の上を語っている。「小学校に入学して間もなく自殺することを考えました。原因は学校でのいじめです」と告白し、以後30年にわたって自殺を思い続けたそうだ。「年収が200万円を超えたことは一度もありません。月収が20万円を超えたことも数回しかないです」と、ワーキングプア状態だったことも明かした。続けて「実刑判決を受けて刑務所での服役を終えて出所して、できるだけ人に迷惑をかけない方法で自殺します」と、あくまで死に対するこだわりを続けている。

   父を亡くし、母との関係はこじれ、恋人も友人もいない。失いたくない地位や人間関係は存在せず、命も惜しくないと絶望にあふれている。最後は、「こんなクソみたいな人生やってられるか!とっとと死なせろ!」と法廷内で吠えた。

エアコンの効いた部屋で暮らしたことがなかった

   初公判を傍聴したジャーナリストの江川紹子さんは3月13日、ツイッターで「強烈な『負け組』意識に圧倒された」「言いたいことはよく伝わってきて、頭は良さそう。けど、人生投げやり感は半端ない。なのに、ネットやマスコミの評価を気にする。すごくねじれた感じ」と感想をつづった。お笑い芸人で「裁判ウォッチャー」として知られる阿曽山大噴火さんは、日刊スポーツ電子版への寄稿で「意見陳述の中身は本心なんだろうけど、どうも偽悪者を演じているようにも思えるんだよなぁ」と印象を書いていた。

   7月18日の最終意見陳述では、篠田編集長によると「A4のレポート用紙44枚」を用意。法廷では一部の読み上げにとどまったが、ブログには全文が掲載された。冒頭陳述が誤った認識に基づいて書かれたとして「撤回したい」と言い出し、「被虐うつ」を描いた1冊の本が差し入れられたのがきっかけで、自分がどんな人生を歩んできたかが分かったと説明している。「自分は夢なんか持っていない!まともに夢すら持てなかったんだ!」「生ける屍」「浮遊霊だった自分が生霊と化した」などと自己分析。また「撤回したい」と言っていた冒頭陳述でも語っていた子ども時代のいじめについて、改めて「小学校時代の6年間は地獄でした」と振り返っている。夢など持ちようのない人生を歩んできた末に、「結果として自分は負け組と呼ばれる社会的地位になりました。それは戦って負けたのではなく、また自ら怠惰を選んで負けたのではなく、不戦敗に近い負け方でした」と結論づけた。

   そして8月21日の判決後、声明で実刑を「喜んだ」被告。最初から「控訴しない」と明言しており、これで刑が確定する可能性は高い。篠田編集長はブログで、被告の幼少期のいじめや虐待と合わせて成長してからの生活苦について言及した。「聞いてみると彼はこれまでエアコンの効いた部屋で暮らしたことがなかったという。年収200万を超えたことがないという、ワーキングプアともいえる生活を長いこと送ってきた彼にとっては冗談でなく本当に拘置所は快適らしい」というのだ。そのうえで、苦しい生活が犯罪に結びついたと考えないわけにはいかないとしている。

   初公判で「とっとと死なせろ!」と叫んだ被告。「出所したら自殺するという意志は今も変わっていないと思う」と篠田編集長は指摘する。意見陳述で自ら延々と絶望を語り、あえて世間の反発を買うような憎まれ口をたたいてきたが、4年6か月の刑期のなかで考えが変わることはあるだろうか。

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