マリナーズの岩隈久志が2015年8月12日のオリオールズ戦で達成したノーヒットノーランは教科書のようなピッチングだった。このヤサ男には、実は「男気」が支えになっていた。9回になってから「その気になった」快記録のポイントは投球数116球にあった。つまりコントロールの良さと組み立ての巧さである。1イニング13球平均。力投型の投手なら6イニングで到達する数だ。「(捕手が)何を求めてサインを出しているのかが分かって投げることができたと思う」ここぞというカウントでボール球を振らせることに成功した。ボール球を振らせる割合は40%を超えた。凡打の山を築き、岩隈本来の無駄のないピッチングができた。それでも記録達成は9回になってから「その気になった」という。「9回になって三塁手がファウルフライを捕ってアウトになったとき、ここは(快記録を)狙っていかなけりゃならないという気持ちになった」ノーヒットに抑えていても、岩隈には球数の壁があった。100球めどである。8回を終わったところで交代、あとはクローザーに、との気持ちがあったそうである。岩隈は球数にシビアである。これは日本の楽天で投げているとき、故障をして右ヒジを手術した苦い体験をしているからで、無理はしないと心に決めているからだ。あえて新興チームへの入団望む岩隈は見るからにヤサ男である。身長が高くスリム。マリナーズのユニホームがチームで最も似合う。ニックネームがいい。「浪華(なにわ)のプリンス」(近鉄時代)「杜(もり)の貴公子」(楽天時代)前者は大阪の別称から、後者は仙台が杜の都と呼ばれるところから、そう呼ばれた。ところが実像は「男気」の野球人である。その代表的なエピソードは、近鉄が球団を解散、その後の進路を決めるときのこと。近鉄の選手はオリックスに吸収されることになり、選択優先権を持つオリックスの保有となった。それを岩隈は蹴った。「岩隈は新興チームの楽天入団を望んだ。楽天に振り当てられた近鉄の選手はほとんどが主力以外。楽天が弱小であることは目に見えていた。岩隈はそれを承知で楽天入りした。オレが支える、という気持ちだった」当時の近鉄担当メディアの話だ。オリックスは岩隈の強い決意に説得をあきらめ、金銭トレードの形で楽天に譲ったという」いきさつがある。10年オフ、大リーグ挑戦へ。ポスティングシステムで交渉権を取ったアスレチックスの「4年、約1500万ドル」を蹴り、翌年に海外FA権の資格を取ってマリナーズと契約した。岩隈は、大リーグならどこでも、という選手ではなかった。マリナーズでは岩隈を「岩熊」として「RockBear」と呼ばれ、大リーガーたちは岩隈の男っぽさを知っているのだ。(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷齊)
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