2024年 4月 20日 (土)

【震災5年 絆はどこに(3)岩手県釜石市】
ラグビーで「逆境から立ち上がる姿」見せる 釜石シーウェイブスは地域と共に

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   2015年、日本にラグビーブームが起きた。日本代表がワールドカップ(W杯)で南アフリカ代表に歴史的な勝利を挙げ、大会を通して大活躍した五郎丸歩選手らメンバーの人気は沸騰した。

   東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県釜石市は、ラグビーの街として知られる。かつて「日本選手権7連覇」を達成した伝説のチーム、新日鉄釜石。その流れをくむ「釜石シーウェイブス」は、震災以降も市民を勇気づける存在であろうと、プレーを続けている。

  • 釜石シーウェイブスを支える桜庭吉彦さん(左)と伊藤剛臣選手
    釜石シーウェイブスを支える桜庭吉彦さん(左)と伊藤剛臣選手
  • 「ロック」のポジションでプレーする伊藤選手(2015年10月31日、秩父宮ラグビー場観客席より撮影)
    「ロック」のポジションでプレーする伊藤選手(2015年10月31日、秩父宮ラグビー場観客席より撮影)
  • スクラムで奮闘する青のユニフォームのシーウェイブスの選手たち(2015年10月31日、秩父宮ラグビー場観客席より撮影)
    スクラムで奮闘する青のユニフォームのシーウェイブスの選手たち(2015年10月31日、秩父宮ラグビー場観客席より撮影)
  • 練習グラウンドのすぐそばに、チームのクラブハウスが建つ
    練習グラウンドのすぐそばに、チームのクラブハウスが建つ
  • 津波で大きな被害を受けた釜石港。避難場所に指定されている高台から見ると、今も復旧工事が続いていた
    津波で大きな被害を受けた釜石港。避難場所に指定されている高台から見ると、今も復旧工事が続いていた
  • 釜石シーウェイブスを支える桜庭吉彦さん(左)と伊藤剛臣選手
  • 「ロック」のポジションでプレーする伊藤選手(2015年10月31日、秩父宮ラグビー場観客席より撮影)
  • スクラムで奮闘する青のユニフォームのシーウェイブスの選手たち(2015年10月31日、秩父宮ラグビー場観客席より撮影)
  • 練習グラウンドのすぐそばに、チームのクラブハウスが建つ
  • 津波で大きな被害を受けた釜石港。避難場所に指定されている高台から見ると、今も復旧工事が続いていた

「市民を元気づけるために続けて欲しい」

「ラグビーをどうするか、考えられる状況ではありませんでした」

   釜石シーウェイブスのディビジョンマネージャー、桜庭吉彦さん(49)はこう振り返る。津波に飲み込まれた街は、がれきの山と化した。市北部の鵜住居(うのすまい)地区では、多くの犠牲者が出た。今日を生きるのに精いっぱいの被災者のために、チームのメンバーは「自分たちにできることをやろう」と自然発生的に動いた。力自慢の男たちは、支援物資の運搬を中心にボランティア活動に打ち込んだ。

   桜庭さんは新日鉄釜石の時代からプレーし、日本代表にも選ばれた。2001年4月にシーウェイブスが「後継チーム」として発足すると、ヘッドコーチなどを務め、今もチームを支える。釜石在住歴は30年を超えるが、地域とチームの「近さ」をずっと感じてきたという。だから、震災で地域住民が途方に暮れていた頃、当たり前のようにメンバーが「力になろう」と素早く行動したのだろう。

   シーウェイブスの選手が被災者に物資を届けに行くと、チームの活動再開を望む声がしばしば上がったという。「こういうときだからこそ、市民を元気づけるためにラグビーを続けて欲しい」と。ラグビーは激しいスポーツだ。たとえ苦戦していても、タックルで倒されても、逆境から立ち上がろうと決してあきらめない。そんな選手の姿を被災者は、震災という苦難に際しても何とか前進するんだという自分たちに重ね合わせていたのかもしれない。桜庭さんは語る。

「本当にありがたかった。釜石の皆さんはラグビーを愛している。そういう人たちにシーウェイブスは支えられているんだと、改めて感じました」

   2011年度シーズン、シーウェイブスは、国内最高峰の「トップリーグ」の下部リーグ「トップイースト1部リーグ」で6勝3敗の成績を残した。

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