2024年 4月 19日 (金)

浅田真央、最後に涙 20年のスケート人生を語る

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ソチのフリー後「あ~終わった、あ~よかった」

   19歳で臨んだ10年バンクーバー五輪は、ショート・フリー計3回のトリプルアクセルを成功させたが銀メダル。あと一歩で優勝を逃した。次こそと4年後のソチ五輪は、ショートでミスが相次ぎ、まさかの16位と出遅れた。

「日本に帰れないって思って、つらい思いもしました。フリー当日の朝も気持ちが切り替わっていなくて、このままで大丈夫なのかなと思いながら公式練習しました。試合が近づくにつれて、メーク、ウォームアップもして、そうしてリンクに出た瞬間に、やるしかないと、そこで初めて吹っ切れました。フリーを終えた瞬間、最後のポーズは上を向いていたんですけど、涙が出てきて『あ~終わった、あ~よかった』って思いました」

   全6種類のトリプルジャンプを計8回組み込んだ前人未到のプログラム。一番印象に残っている演技を問われた浅田は「ソチのフリーです」と迷わず答えた。総合6位に終わったが、直後の世界選手権では圧巻の演技で優勝を収めた。

   最高の演技をしたこの時にきれいに引退していれば...という声は少なくない。しかし浅田は否定した。

「ソチとその年の世界選手権で終わっていたら、今もまだできたんじゃないかと思い続けたんじゃないかと思います。チャレンジしてやり切った結果の引退決断でした。家族や友達に相談はしましたし、悩みもしましたが、最後は自分の決断です。やり残したことはありません。それだけやり尽くしました。悔いはまったくありません」

   決めたことはやり切るというポリシーは、「母譲りですかね。頑固なところは」と、幼いころから厳しくもスケート生活を支え続けてくれた匡子さん(故人)にも触れた。

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