保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(5)
弱者の側に立つ「帝国主義的道義国家」(その1)
2018年06月16日11時50分
近代日本が選択すべき国家像は、現実の帝国主義国家(後発)のほかにも幾つかの道があったというのが、このシリーズの立脚点である。ほかにどういう道があったか、この問いに私は三つの像が考えられると書いた(第1回)。それらの像のほかにも考えられるだろうが、私はあえて三つに絞って、近代日本のもうひとつの側面を考えていきたいのだ。三つの国の姿をそれぞれエッセイ風に書いていくが、そのひとつが、「植民地解放、被圧迫民族の側に立った帝国主義的道義国家」である。