2018年 11月 17日 (土)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(18)
昭和陸軍が振りかざした「独自論理」

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   太平洋戦争に入ってからの昭和陸軍は、極めて偏狭ともいうべき道を歩み始めた。客観的にいうならば歴史性も社会性も失い、全ての事象について自らに都合の良い論理に身を委ねた。

   その都合の良い論理とはどのようなものだったかは知っておく必要がある。その都合の良い論理の一例をあげよう。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 特攻隊員を「神風特攻隊」と称したのは「皇軍史」の内容が影響している
    特攻隊員を「神風特攻隊」と称したのは「皇軍史」の内容が影響している

『皇軍史』で陸軍が主張したこと

   太平洋戦争下の昭和18(1943)年8月に陸軍の教育総監部が、『皇軍史』という書を刊行した。683ページに及ぶ大部の書であったが、この書は「二千六百年の皇軍発展の跡を明らかにすることによって、皇軍の本質を明確に把握し、皇軍の使命と皇国軍人の本分とを確認し、以て八紘一宇の大理想の顕現を翼賛し奉るべき皇軍の規範を求めうるのである」と、その目的を明かしている。言わんとする意味は、戦争を戦っている現在、私たちは日本軍のよって来たる理由を明らかにして今の戦いを継続するのだとの意味である。

   その上で展開する論はあまりにも突飛である。まず本来、日本の軍隊は神軍であると規定する。神武天皇以来の神話に基づく期間を神代とした上で、その空間には「天祖御親ら武装し、陣容を整へ給う」神軍が存在したというのだ。神武天皇という神が率いる神軍、それが皇軍の出発だったと強調する。明治15年(1882)の軍人勅諭はその冒頭で、「我が国の軍隊は世世天皇の統率し給ふ所にそある」とあるが、それは神武天皇が神軍を率いてこの国を平定した建軍の本義を説いていると解釈するのである。日本が戦って負けたことがないのは、神に率いられた軍隊だからである。我々はなんと幸せな時代に生きていることか、大東亜共栄圏を建設するという聖業の時代に生きているのだからということになる。

   神兵、つまり神の兵隊という時代に生きているこの幸せを自覚しなければならないとも説くのである。天皇を神格化して神とし、それに忠誠を誓う神兵の気持ちは何と幸せなのだろうかと繰り返す。戦国時代や江戸時代のように、忠誠の対象を間違えて主君に仕えていた時代と比べると、神武天皇の時代に戻った現在、我々は何と充実した時代に生きていることか――とも、この『皇軍史』は説くのである。

「現実の戦争」を「精神の戦争」に置き換える

   太平洋戦争下で、日本が決して負けない、最後は神風が吹くからとか、特攻隊員を神風特攻隊と称したのは、まさにこの書が原典になっていたからである。太平洋戦争に敗れたのは物量戦で圧倒的に戦力差があるのは歴然としていたからだとの論は、いわば可視化した枠内での敗戦論になる。しかし不可視の部分の敗戦論はまさにこの天皇を神格化し、現実の大元帥からもさらに上位に天皇を置くことによって現実の戦争を精神の戦争に置き換えてしまったからだったのである。天皇を現実に存命する生ある存在から、神としての存在に置き換えることによってこの戦争は悲惨なものに転化していった。

   昭和19(1944)年に入ってからの戦争指導は、軍政と軍令の一体化が図られ、陸軍では東條英機首相がこの一体化の元で独裁者のごとき振る舞いを続けている。海軍では海軍大臣の嶋田繁太郎が独裁者となってこの戦争でやりたい放題を続けることになった。昭和天皇はこのような状態に困惑して、そして政務室でただ一人悩まれていたのである。

いつまでもジョウロで水を...

   昭和天皇は、陸軍が自らを神格化し、この国家を神国としていくことが不満であった。そのことは終戦直後の側近たちへの質問に答える形の史料(「昭和天皇独白録」)のなかでも漏らしている。あまりにも神国に傾きすぎたこと、というのである。

   昭和19(1944)年の半ばから20(1945)年にかけて、昭和天皇は日々煩悶の生活を続けている。私はその頃の天皇を神経衰弱気味だったのではないかと思えるのだ。そして昭和20年ごろにもっとも激しく悩まれていたように思う。侍従たちの証言によれば政務室で独り言を漏らされているし、よく部屋の中を歩かれていたというのである。ある侍従の証言では 、たまたま呼ばれてお部屋にうかがうと、「どうしてこんなことになったのか」とか「誰が信用できるのか」との独り言をつぶやいているのを目撃している。このころの侍従長の藤田尚徳が戦後になって著した『侍従長の証言』によると、天皇のお供で皇居の中を散歩することもあったというが、そのような折、天皇はジョウロで草花に水をおやりになるという。しかし精神的にお疲れの時はいつまでもジョウロで水を傾けていたというのである。

   藤田は、それほど陛下は民のことを思ってお悩みになっていたと書いている。天皇はもう戦争は限界にきている、一刻も早く戦争を終わらせなければと焦っていた。このころ(昭和20(1945)年2月)に天皇は重臣たちから個々にこれからどうするのがいいかを尋ねている。この時の天皇は積極的に戦争をやめようとの意見を聞きたかったのである。しかし総じて七人の答えは天皇を納得させなかった。藤田はそのことを丁寧に書き残している。貴重な記述なのであった。(第19回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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