2019年 5月 21日 (火)

デストロイヤーさんが覆面をかぶった理由とは マスクマンたちの「変身」事情

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   昭和のプロレス界に君臨した伝説の覆面レスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが2019年3月7日(日本時間8日)、亡くなった。享年88。デストロイヤーさんの子息のカート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで公表したもので、複数の米メディアが報じた。

   ベイヤー氏によると、デストロイヤーさんは7日正午過ぎに米ニューヨーク州の自宅で亡くなり、家族に最後を看取られたという。

  • 子息のカート・ベイヤー氏のフェイスブックより
    子息のカート・ベイヤー氏のフェイスブックより

WWA王座獲得で一躍米国トップレスラーに

   1954年に米国でプロレスラーとしてデビューしたデストロイヤーさんは当時、素顔でリングに上がっていたが、62年に覆面レスラー「デストロイヤー」が誕生。お馴染みの白地に赤色を縁取ったマスク姿の覆面レスラーとして、米国4大メジャー団体のひとつであるWWAヘビー級王座を獲得するなど一気にスターダムにのし上がった。

   63年に初来日し、国民的英雄の力道山と対戦。力道山との4度にわたるシングルマッチは日本プロレス史に残る名勝負として語り継がれているが、63年5月24日に東京体育館で行われたWWA世界ヘビー級選手権はテレビの平均視聴率が64%をマーク。多くの国民が熱狂し、テレビの前に釘付けとなった。

   日米のリングを股にかけていたデストロイヤーさんは、73年から7年間、日本に在住し、日本のプロレス界を支えてきた。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田をはじめとする日本のトップレスラーと渡り合いながら、後進の指導にも当たった。約40年のキャリアで日米通算8000以上ものリングに上がった。

覆面レスラーの昼間の顔と夜の顔

   世界的にみて覆面レスラーが多く存在するのが、メキシコのルチャリブレ(スペイン語でプロレスを意味する)だ。56年に初めて覆面レスラーとして来日したラウル・ロメロもメキシコ出身である。なぜルチャリブレに覆面レスラーが多いのか。それは多くのレスラーがルチャリブレだけでは生計を立てることが出来ず兼業していたため。日中にさらしている素顔を隠すため、夜間の試合ではマスクを装着するレスラーが増えていったという。

   デストロイヤーさんのケースはこれとは別にある。当時、米国のメジャー団体で試合に出場するためにはライセンスが必要だった。地方の小さい団体でデビューしたデストロイヤーさんはライセンスを持っておらず、メジャー団体に出場するにあたり素性を隠すためにマスクを装着したという。ヒールに転向した覆面レスラーは米国で大いに受け、覆面レスラーとしてメジャー団体で初の世界王座を獲得した。

   デストロイヤーさんや、ミル・マスカラスの影響を受け、日本でも数多くの覆面レスラーが登場した。日本のケースで多く見られるのが、日本のマットでデビューを飾った若手が海外に出向き、武者修行を終えて帰国した際に覆面レスラーとして再デビューするもの。素性を隠すというよりは、キャラクターそのものを変えて再デビューさせることが目的で、初代タイガーマスクの佐山聡氏は、日本デビューを飾った後、メキシコ、米国、英国と渡り歩き、現地で実績を積んでから日本で初代タイガーマスクとして再デビューを飾っている。

   覆面レスラーとなったことが転機となり日米のマットで頂点を極めたデストロイヤーさん。長らく夫人のお手製のマスクを装着していたという。2001年に米国で起こった米中枢同時テロを機に空港の入国検査が厳重となったが、それ以前までは入国検査の際もマスクを装着する徹底ぶりだった。現役時代の激しいファイトの影響で晩年は足が不自由となり、日常生活では歩行器を必要としていたが、メディアの取材を受ける際は必ずマスクを装着していた。日米の覆面レスラーの礎を築いたデストロイヤーさんは、88歳で静かにこの世を去った。

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