2019年 4月 18日 (木)

俳優だけじゃない、「ボーカリスト」ショーケンを知ってくれ 遺作シングルで見せた「原点回帰」

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   ショーケンこと歌手で俳優の萩原健一さんが2019年3月26日、GIST(消化管間質腫瘍)のため都内の病院で死去していたことが28日明らかになった。68歳だった。

   テレビドラマ「傷だらけの天使」(日本テレビ系)や映画「いつかギラギラする日」など俳優として数多くの名作に出演した萩原さん。俳優としての経歴が目立つが自身の原点となった「ボーカリスト」としての活動も続けていた。

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17歳でデビュー、GSのトップスターに

   萩原さんのキャリアスタートはグループ・サウンズの代表的なバンドとして名高い「ザ・テンプターズ」だった。17歳でデビューし「エメラルドの伝説」やメンバーの松崎由治さんが作詞作曲を手がけた「神様お願い!」などヒットを連発した。そうした中、英バンド「ザ・ローリング・ストーンズ」などのカバー楽曲もコンサートで披露。ライブ盤「ザ・テンプターズ・オン・ステージ」ではアイドル的な人気と裏腹に疾走感あふれる演奏と萩原さんの自由で猛る歌唱が記録されている。

   「ザ・テンプターズ・イン・メンフィス」など6枚のアルバムを発表。1970年12月27日のコンサートを最後に解散。2部制で行われた解散コンサートのラストの曲は「涙のあとに微笑みを」だった。

   その後、萩原さんは同じテンプターズの大口広司さん(故人)と共にロックバンド「PYG」での活動に入る。ザ・タイガースの岸部一徳さん、沢田研二さんにザ・スパイダースの井上堯之さん(故人)、大野克夫さんと豪華な面々が集結。「自由に歩いて愛して」などの楽曲を発表し、ここでもローリング・ストーンズ「ビッチ」やディープ・パープル「ブラック・ナイト」などカバー曲を披露した。

   しかし、PYGの活動中に萩原さんは72年の映画「約束」に岸恵子さんの相手役として出演。その後、テレビドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)など俳優として人気を獲得。73年から一時音楽活動から遠ざかることになった。

「唯一無二」のスタイルを確立

   萩原さんのソロシンガー活動は75年「惚れた」からスタートした。このアルバムから「Nadja 男と女」まではロックシンガーとしての鳴りを潜め、色気ある落ち着いたスタイルの楽曲が多かった。転機となったのは79年「Nadja3 エンジェル・ゲイト」だ。BOROさんとの競作「大阪で生まれた女」、柳ジョージさん(故人)の「本牧綺談」が収録され、ロックシンガーとしてのショーケンが戻ってきた。それは柳ジョージ&レイニーウッドが参加したライブ盤「熱狂雷舞」でより鮮明なものになっていった。

   決定的になったのは80年発表のアルバム「DONJUAN」。ジャケット裏に表記された「DONJUAN SUPER SESSION(後のDONJUAN ROCK'N ROLL BAND)」と共に作り上げ、ボーカルスタイルはエキセントリックでオンリーワンのスタイルへと変貌。レゲエ調の「お元気ですか」や名曲「ローリング・オン・ザ・ロード」で魅せた男臭く慈愛に満ち溢れた世界観は82年のアルバム「D'ERLANGER」でさらなる高みに到達。男が惚れる男・ショーケンをボーカリストとしても体現した。

   インドでのスタジアム・コンサートと武道館ライブを記録したライブ盤「SHANTI SHANTI LIVE」を発表するなど音楽活動も充実していたが、83年に大麻不法所持、84年には飲酒運転で人身事故と不祥事が相次いだ。

   84年にアルバム「Thank You My Dear Friends」では活動休止中の母親との別れなど心境を歌詞に反映。さらに85年、井上堯之さんらと組んだバンド「アンドレ・マルロー・バンド」とのコンサートでは、

「何があったんですか? え~大麻と交通事故と離婚です」

と「九月朝。母を想い」の歌詞を変えて披露。自身の身の上すら歌で吹き飛ばした。

   アンドレ・マルロー・バンドでのアルバムも2枚発表、90年代に突入しても渋谷・Bunkamuraシアターコクーンで半月にわたって「ロックコンサート -R-」を開催。TUBEの春畑道哉さんから楽曲提供を受けたシングル「泣けるわけがないだろう」を発表するも80年代に比べると活動ペースは減速していた。

最晩年に見せた「原点回帰」

   2000年代に突入してもあまり音楽活動は活発しなかった。さらに、04年に再び不祥事を起こし、活動停止。復帰は08年まで待つことになる。

   音楽ユニット「UKAWANIMATION!」のデビューシングルにゲスト参加、10年にセルフカバーアルバム「ANGEL or DEVIL」を発表するなど徐々にペースを上げてきた。

   そして17年、50周年を迎えてビルボードライブとライブハウスツアーを敢行。闘病中とは思えぬアグレッシブなライブパフォーマンスで観客を魅了した。若手ドラマー・裕木レオンさんをメンバーに加えるなど新しい試みにも挑戦。スタジオライブ盤「LAST DANCE」、18年には再びビルボードなどを回るクラブツアーを敢行した。

   昨年、自主レーベル「Shoken Records」を立ち上げ発表したのは遺作となったシングル「Time Flies」だ。これまで数多くの著名なミュージシャンから曲をもらった萩原さんが最後の楽曲の作者に選んだのは自分自身。Time Flies=光陰矢の如しと名付けたタイトル曲は生々しいサウンドと迫力のボーカルが冴えた。

   ビルボード・ジャパンが2018年に公開した「萩原健一インタビュー『新曲は自分にとっての原点回帰』」ではこのように語っている。

「14才~15才の頃への原点回帰なんですよ。そのときにもう、ブルースが鳴っていたんです。そこに回帰してリリースしてみようというのが、この『Time Flies』というシングルです」

   カップリング収録された「Dejavu」と「Good Action」も未来や挑戦を感じさせる歌詞だ。

   最後の曲「Good Action」の歌詞はこう締めくくられている。

「皆んなが求めているものを俺が持ってるぜ 一緒にさぁActionしようぜ!」

   52年目を迎える2019年。新たな挑戦をしてくれる――誰もがそう信じていた。

   本気でショーケンになりたい。そう思い、追いかけ続けた背中の歩みが止まった。

(J-CASTニュース編集部 大山雄也)

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