2020年 12月 5日 (土)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(40)
軍人勅諭と戦陣訓――明治と昭和の戦時観の違い(その1)

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   軍人の精神的基盤はどこにあるのか。近代日本の軍人たちを縛り付けていた規範、あるいは倫理観、それを見ていくことで近代日本の軍事組織は何を目的に存立し得たのか、がわかってくる。今回は1882(明治15)年1月に明治天皇の発した「陸海軍軍人に下し給へる勅諭」(一般には軍人勅諭という)と1941(昭和16)年1月に陸軍大臣東條英機の名で軍内に発せられた「戦陣訓」とを対比させながら、天皇の軍隊と一口に言っても明治と昭和の間には大きな亀裂があったことを確認しておきたい。

  • 「陸海軍軍人に下し給へる勅諭」(軍人勅諭)では、日本の神話史観の骨格を説く。写真は国立国会図書館所蔵の「詔勅集 : 皇太子殿下御降誕記念」(1935年)から
    「陸海軍軍人に下し給へる勅諭」(軍人勅諭)では、日本の神話史観の骨格を説く。写真は国立国会図書館所蔵の「詔勅集 : 皇太子殿下御降誕記念」(1935年)から
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 「陸海軍軍人に下し給へる勅諭」(軍人勅諭)では、日本の神話史観の骨格を説く。写真は国立国会図書館所蔵の「詔勅集 : 皇太子殿下御降誕記念」(1935年)から
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん

「軍事先行」のツケを昭和に回す

    近代日本の国家体制は明治に入ってすぐに軍事が先行する形で進んだ。明治10年の西南戦争や明治10年代の自由民権派による反政府闘争などに、新政府は軍事で常に抑圧を続けた。まだ憲法も制定されていないうちに軍事は独自に軍内法規を作り、組織原理を確立し、そして「天皇の軍隊」であることを明言して国家的エリート機関としての存在を誇ることになった。政治よりも軍事が優先している国家、という意味では、日本は後世に多くのツケを残したと指摘できるであろう。そのツケが昭和には浮上してきたと言えるのである。

    あえて付け加えておくのだが、歴史には「可視」の部分と「不可視」の部分があり、いわば軍人勅諭にせよ、戦陣訓にせよ、それ自体は可視の文書である。しかしこの二つの文書によって、軍人の心がまえがどのように下士官、兵士たちに心理的な呪縛を強いたかは不可視の領域である。その両面を分析するのが本稿の目的でもあるのだが、前提として理解してべきおくことは次の二点である。

(1)平時と戦時の違いの中にある倫理観、規範をどのように理解するか。
(2)軍人教育の要諦はどこにあり、その目的は何であったのか。

   この二つは図らずも軍事を優先してしまった国家の抱え込む基本的な命題である。この命題にいかなる答えを出すのかが、近代日本史の役目だったと言っていいように思う。

「忠節を尽すを本分とすへし」「礼節を正しくすへし」などを強く要求

   そこでまず軍人勅諭を見ていくことにするが、勅諭は全文2700字によって構成されている。明治天皇から当時(1882=明治15年)の陸軍卿、海軍卿に下賜された。これをまとめたのは山県有朋に命じられた西周か福地源一郎ではないかと言われているが、いずれにせよ日本語としての格調を尊ぶというのがその趣旨でもある。その導入部は以下のようになる(平仮名に直す)。

「我国の軍隊は世世天皇の統率し給ふ所にそある 昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ひ中国のまつろはぬものともを討ち平け給ひ高御座に即かせられて天下しろしめし給ひしより二千五百有余年を経ぬ」

と言った具合で、日本の神話史観の骨格を説くのである。そしてつまりは、日本の軍人、兵士には次の5点を強く要求する。

1、軍人は忠節を尽すを本分とすへし
1、軍人は礼節を正しくすへし
1、軍人は武勇を尚ふへし
1、軍人は信義を重んすへし
1、軍人は質素を旨とすへし

   その上でこの5点について具体的に説明を続けていく。この中であえて重要と思われるのは、最初の忠節を尽すという項なのだが、やはり以下に引用しておきたい。

「(軍人は)世論に惑はす政治に拘らす 只一途に己の本分の忠節を守り 義は山獄よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ 其操を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ」

明治、大正、昭和の初めの陸海軍の教典に

   この中で、軍人は政治に関わってはならないというのは山県の意向が強く反映している。つまり不平士族の政府攻撃、自由民権論者の言説に惑わされてはいけないというのである。この一節は、昭和に入っての青年将校の時代には、逆に政治の側の世論など気にかける必要はないとの方向で理解されて物議を醸し出す。しかしともかく、軍人勅諭は明治、大正、昭和の初期の陸海軍の教典になっていった。

   新兵は必ず暗記するように命じられ、暗記のできない兵士には制裁が待っていた。無論明治期の教育も充分に行き渡っていないときは、文字も充分に読めない兵士には口移しで教えたと言われているほどであった。しかし軍人勅諭を読んでもわかるように、軍内では皇国史観そのものが日本社会の教育制度の成立以前にすでに進められていたという事実である。このことは近代日本が軍事主体であるだけでなく、すでに軍事は神話と合体する精神基盤を有していたという点に特徴をもつ。

   この矛盾が実は、昭和の戦陣訓の持つ非合理性の因となっている。そこを分析しなければならない。(第41回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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