2020年 4月 9日 (木)

「世紀の番狂わせ」から30年 タイソンを倒した男、ダグラスの栄光と苦闘とは

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   今から30年前の1990年2月11日、東京ドームで「世紀の番狂わせ」が起こった。無敗を誇るヘビー級統一王者マイク・タイソン(米国)が、挑戦者ジェームス・ダグラス(米国)の一撃に沈んだ。世界のボクシング界における史上最大級の「番狂わせ」だった。

   あれから30年、いまなお語り継がれる「世紀の番狂わせ」の主役・ダグラスは現在、何を思い、どのような生活を送っているのだろうか。

  • 1990年2月11日、ジェームス・ダグラスがマイク・タイソンを破った「世紀の番狂わせ」(写真:ロイター/アフロ)
    1990年2月11日、ジェームス・ダグラスがマイク・タイソンを破った「世紀の番狂わせ」(写真:ロイター/アフロ)

元プロボクサーの父の指導を受けプロの道へ

   ヘビー級の歴史を変えた一戦から節目の30年を迎え、海外メディア「Primera HORA」は2020年2月11日、30年後のダグラスを追った記事を掲載。ヘビー級史上最強といわれたタイソンを倒し、一夜にして世界にその名をとどろかせたダグラスの「栄光」と、その後の「苦闘」を紹介している。

   ダグラスは現在、出身地の米オハイオ州コロンバスのコミュニティーセンターでボクシングのインストラクターをしているという。現役時代から患っている糖尿病と向き合いながら、世界チャンピオンを夢見る少年たちにボクシングの手ほどきをしている。また、恵まれない環境にある若者をサポートするプログラムのための資金集めに尽力し、表彰されたという。

   「常にチャンピオンになることを夢見ていた」というダグラス。元プロボクサーでミドル級の世界ランカーだった父ビル・ダグラス氏に幼少のころからボクシングの指導を受け、21歳でプロデビューを果たした。1987年にトニー・タッカー(米国)と空位のIBFヘビー級王座を争い10回TKO負け。そして3年後に2度目の世界戦のチャンスが巡ってくる。3団体統一ヘビー級王者タイソンへの挑戦だ。

試合のオッズは42対1でタイソン圧倒

   王者タイソンは37戦全勝、33KOと驚異的なレコードを誇っていた。一方のダグラスはすでに4敗を喫しており、世界的には無名のボクサーだった。世界中のボクシングファン、関係者の興味はただ一点、タイソンが何ラウンドにダグラスをKOするかに集まった。ダグラスへの期待の低さを物語るように、この試合のオッズは42対1だった。東京ドームに詰めかけた5万を超える観客のうち何人がダグラスの勝利を予想しただろうか。

   初回、両者の動きは対照的だった。体を左右に振りながら前進するタイソンにいつものキレがない。いかにも体が重そうで、ヘッドスリップでパンチをよけきれず左ジャブをまともに食らい続けた。対するダグラスは持ち前のスピードとフットワークを生かし、向かってくるタイソンをうまくさばいて寄せ付けない。回を追うごとにダグラスのパンチはスピードに乗り、的確にタイソンの顔面をとらえた。

   迎えた8回、2分55秒過ぎだった。劣勢を強いられるタイソンの起死回生の右アッパーがダグラスの顎を打ち抜いた。ダグラスは大の字にキャンバスに崩れ落ち、レフリーがカウントする。そしてカウント「9」でダグラスが立ち上がると同時に8回終了のゴングが鳴った。結果からいえば、ゴングに救われたダグラスが10回に右アッパーからの連打でタイソンを仕留め、「世紀の番狂わせ」が完結する。

「疑惑のロングカウント」で正当な評価受けられず...

   ヘビー級史に残るこの一戦を語る上で避けて通れないのが8回のダグラスのダウンシーンだ。試合後、タイソンのプロモーターであるドン・キング氏は、レフリーがロングカウントしたとして猛抗議をした。確かに当時の映像を確認すると、レフリーはダグラスがダウンした4秒後にカウントを開始している。ダグラスが立ち上がったのがカウント「9」なので、実質13秒かかっている。キング氏はレフリーのロングカウントに激怒し、タイソンのKO勝利を主張した。

   キング氏の主張は「疑惑のロングカウント」と報じられ、試合後、訴訟に発展した。これがダグラスの「栄光」に暗い影を落とす。「世紀の番狂わせ」を演じた主役は、「疑惑のロングカウント」により正当な評価を得られず、加えて数カ月にも及んだ法廷闘争がダグラスの心をむしばんだ。ダグラスは当時を「私はチャンピオンになったが、それは悪夢だった」と振り返っている。

   タイソン戦から8カ月後の1990年10月、イベンダー・ホリフィールド(米国)を迎えて初防衛戦に臨み、3回KO負けで王座を失った。この敗戦でダグラスの評価は一段と下がり、メディアでは「まぐれでタイソンに勝った男」と評されるようになった。タイソン、ホリフィールド戦で計30億円以上もの富を得たダグラスは、この敗戦を機にしばらくリングから遠ざかり、リングに復帰したのは6年後のことだった。

「先生は優しく、寛大でリアルだ」

   現役復帰するまでの6年間はまさに「苦闘」だった。タイソン戦の訴訟問題などで精神的に深刻なダメージを負い、うつ病を発症。これに加えアルコール依存症となり、糖尿病を併発。一時は生死をさまようほど病状が悪化した。ダグラスは当時を「人生に無関心だった」と振り返る。死の淵に立たされたダグラスは再びグローブを握ることを決意。ダグラスの第二のボクサー人生が始まった。

   復帰後6連勝を飾り、1998年6月にマイナー団体のIBAヘビー級王座決定戦に出場。マイナータイトルながら8年ぶりに世界の舞台に立った。結果は初回KO負けだった。その後、ノンタイトル戦をこなし、1999年2月の試合を最後に現役引退した。生涯戦績、46試合38勝(25KO)6敗1分1ノーコンテスト。

   30年前、「東京ドームの奇跡」を演出し、つかの間の「栄光」をつかんだ男のその後は、苦しみとの戦いだった。そして今、ようやく人生をポジティブに歩けるようになったというダグラス。彼の教え子は言う。「先生は優しく、寛大でリアルだ」と。子供たちの目に映るダグラスは、決してまぐれでタイソンに勝った男ではなく「リアル・チャンピオン」なのだ。

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