2020年 3月 31日 (火)

「今は自分探し」日ハム退団の元ドラ2・森本龍弥 セカンドキャリアに向け、通い始めた場所は

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   アスリートのセカンドキャリアを支援する目的で設立された一般社団法人「日本営業大学」が2020年2月23日、プレ開校した。

   この日は埼玉県さいたま市内で講義が行われ、プロ野球の日ハムを昨シーズン限りで退団した森本龍弥氏(25)、森山恵佑氏(25)らが出席し、第二の人生に向けて新たなスタートを切った。

  • 講義を受けた森本氏(左)と森山氏
    講義を受けた森本氏(左)と森山氏

同期のドラ1は大谷翔平

   「僕はあまり頭がよくないので、理解出来ていないところはありましたし、もっと自分から質問をした方が良かったと思っています」。90分間にわたる講義を2コマ受講した森本氏は、人懐っこい笑顔をのぞかせ、初講義を振り返った。

   森本氏は小学1年から野球を始め、中学時代は地元大阪府内の硬式野球チームで活躍。高校は地元を離れて高山第一高に進学し、甲子園出場はなかったものの強肩強打で注目を集め、2012年のドラフトで日ハムから2位指名を受けプロ入り。契約金5000万円、年俸500万円(金額は推定)で、同年のドラ1は現MLBエンゼルスの大谷翔平投手(25)だった。

   球団の期待は大きく、球団は未来のクリーンナップ候補に背番号「24」を与えた。入団から4年間は2軍暮らしが続き、1軍の出場機会が巡ってきたのがプロ5年目の2017年だった。同年4月13日、対ソフトバンク戦で1軍デビューを飾り、初打席初安打を記録した。その後、1軍での出場は4試合にとどまり再び2軍生活に戻った。

   2018年シーズンは、開幕から出遅れた。3月20日に左手有鈎骨の摘出手術を受け、リハビリを続けながら実践復帰をうかがった。ファームでは首脳陣にアピールするほどの成績が残せず、この年は1軍での出場はなしに終わった。シーズン後に戦力外となり支配下契約を解除され、育成選手として球団と再契約。背番号は「24」から3ケタの「124」となった。

「20年くらい野球をやってきたので少しゆっくりしたいなと」

   背番号「124」は支配下契約を勝ち取るためファームで再出発した。67試合に出場し打率.217、3本塁打18打点をマーク。レギュラーシーズン終了後の秋季キャンプに参加し、育成契約更新の可能性を残したが、現実は厳しかった。10月24日に球団から契約解除の報を受けた。それでも現役にこだわった森本氏は11月に行われた12球団合同トライアウトに参加。だが、ここでもNPB球団から声がかかることはなかった。

   日ハムを退団後、独立リーグや社会人野球から誘いがあったというが、NPB球団で野球のキャリアを終わらせたいとの思いが強く、25歳でグローブを置くことを決めた。自称「ニート」と自嘲気味に話す森本氏は現在、地元に戻り、自身のセカンドキャリアにどのように向き合うべきか自問自答の日々を過ごしているという。

「今は特に何をすることなく自分探しですね。20年くらい野球をやってきたので少しゆっくりしたいなと。将来的に何をしたいのかと、よく質問されますが、それがないんですよね。なのでこの時間(講義)で見つけたいと思っています」

   森本氏は、元中日の橋爪大佑氏の紹介によって日本営業大学の存在を知ったという。セカンドキャリアを支援する目的で設立された学校に興味を持ち、同じ歳で、自身と同じく昨シーズン限りで日ハムを退団した森山氏を誘って入学した。セカンドキャリアについて悩んでいたという森山氏はこの日の講義を終え、「高校、大学と勉強してきましたが、社会で実戦できる授業ですので勉強になります」と率直な感想を述べた。

「僕の人生、20歳がピークでした」

   日本営業大学は、4月に東京校と大阪校が開校する。同校は元アスリートと企業を直接結ぶだけではなく、セカンドキャリアに向けて社会常識やビジネスマナーなどを指導した上で企業に人材を紹介するというシステムとなっている。教育期間は1期3カ月間で終了して卒業となり、年間を通して第3期まである。

   入学試験は書類審査とスタッフによる面接が行われる。学費に関しては独特のシステムを導入しており、入学金は3万円が必要となるが、その後の受講費はすべて後払いとなっている。就職してから3年間、毎月5000円を学費として学校に収める。生徒の金銭的な負担を軽減させ、生徒と3年間つながりを持つことで、就職してからも支援体制が継続できるという。

   同校の代表理事を務める中田仁之氏は、ある元高校球児との出会いが同校を設立するきっかけになったという。4年前の出来事だ。中田氏が出会った元球児は、高校時代に甲子園に出場し、野球推薦で大学に進学したほどの選手だった。大学でも活躍が期待されたが、高校時代の輝きは徐々に光を失い、練習過多でケガをしたことが原因で部を退部。同時に大学も去った。

   中田氏は、その元球児がこぼした言葉に衝撃を受けたという。「僕の人生、20歳がピークでした」。幼いころから野球に打ち込み、大学を退学してから行き場を失った青年。中田氏はこの青年に人生の先輩としてアドバイスを送り、ビジネスマンとしてビジネスマナーの「いろは」を教えたという。この青年は中田氏の指導の下、やがて社会に羽ばたき、今では企業に就職して第一線で活躍しているという。

「自分は野球に人生をかけてきたので...」

   中田氏は「プロ野球に限らず、独立リーグやその他の競技を引退した後、セカンドキャリアに悩んでいる人が多くいます。プロ野球選手はまだ恵まれているほうで、金銭的に苦しい立場にいる元アスリートはたくさんいます。そのような元アスリートの手助けをしたい。私たちの活動が少しでも元アスリートたちの役に立てればと思っております。人生のピークが20歳だなんて、あまりにも寂しすぎますから」と話した。

   同校はあらゆる競技の元アスリートに門戸を広げ、現役時代の成績などは関係なく元アスリートであれば入学が可能だという。森本氏や森山氏のような元プロ野球選手の他に、元サッカー選手、アメフト選手、スピードスケート選手らが4月に入学を予定しており、今後も順次、東京校、大阪校で入学を受け付ける。

   4月から大阪校に入学する森本氏。その森本氏のセカンドキャリアを同期の大谷は気にかけているようで、つい最近、大谷から「仕事決まったか?」との連絡がきたという。昨年10月に7年間におよぶプロ生活に終止符を打った森本氏は「1日1日は長かったですが、トータルしたら7年間は短かったです。一瞬の7年でした」と振り返る。そして、森本氏は自身に問いかけるように言った。

「野球人生よりも、これからの人生の方が長いとよく周りから言われますが、自分は野球に人生をかけてきたので、まだその意味が分からないんです。実感もありませんし。ただ、今後の人生、悔いのないように頑張りたいと思います」

   元ドラフト2位の25歳が直面するセカンドキャリア。人生の岐路に立つ森本氏が今後どのような道へと進むのか。答えはまだ出ていない。

(J-CASTニュース編集部 木村直樹)

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