2024年 5月 6日 (月)

ヤクルト、野村克也さんに「弔い優勝」贈れるか カギ握る男「中村悠平」の再起

   2020年2月11日に虚血性心不全のため亡くなった野村克也元監督(享年84)は生前に南海(選手兼任)ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた。その中で特に強烈な存在感を放ったのが、1990~98年と9年間指揮をふるったヤクルト監督時代だった。

   細かなデータを駆使して強者を倒す「ID野球」はプロ野球の常識を変えたとされる一方で、「野球を辞めた後の人生の方が長い」と人間教育にも力を入れ、春季キャンプ中のミーティングでは社会学や人生論などを語り、選手はノートにメモを取っていた。

  • ヤクルトの本拠地・明治神宮。集まるファンを沸かすことはできるか(イメージ)
    ヤクルトの本拠地・明治神宮。集まるファンを沸かすことはできるか(イメージ)
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「優勝戦線に加わってください」生前のエール

   2009年に楽天の監督を退任して以来、現場から遠ざかっていた野村さんがヤクルトのユニホーム姿で登場したのが昨年(2019年)7月11日に開催されたヤクルトOB戦「Swallows DREAM GAME」だった。

   チームは当時借金14の最下位に低迷。小川淳司前監督を横に、野村さんは「何をやっているのか!というのが今の私の正直な気持ち」と叱咤すると、「私の長い野球人生でヤクルトスワローズには足を向けて寝られません。ヤクルトに頑張ってもらうしか、私の残された人生でこんな寂しいことはありません。一日も早く最下位を脱出して、優勝戦線に加わってください」と力強い声で首脳陣、選手たちを激励した。

   恩師の突然の訃報に、涙を流した高津臣吾新監督は特別な思いで臨むシーズンになる。だが、今季の戦力を見ると厳しい戦いが予想される。主軸のバレンティンがソフトバンクに移籍。投手陣も先発、救援共にコマ不足が深刻な状況で野球評論家の下馬評は低い。

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