2024年 4月 19日 (金)

ラオスの「ホストタウン」務める飯舘村 交流の縁は、子どもたちが結んだ【震災9年 東北と復興五輪(2)】

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   東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島には、東京オリンピック・パラリンピックの「復興『ありがとう』ホストタウン」を務める自治体がある。震災後に支援の手を差し伸べてくれた海外の人々に感謝を示し、その国・地域と交流を図るのが目的だ。

   福島県飯舘村は、東南アジア・ラオスのホストタウンだ。交流の歴史は震災前にさかのぼる。村の子どもたちの善意から始まった縁は、震災を乗り越えて交流の大きな幹をつくった。

  • ラオスから来た生徒と交流する飯舘中の子どもたち(画像提供:飯舘村役場)
    ラオスから来た生徒と交流する飯舘中の子どもたち(画像提供:飯舘村役場)
  • ラオスのパラ水泳選手が飯舘村で合宿を行った(画像提供:飯舘村役場)
    ラオスのパラ水泳選手が飯舘村で合宿を行った(画像提供:飯舘村役場)
  • ラオスに訪問経験がある大澤和巳さんは、子どもたちの交流の重要性を話した
    ラオスに訪問経験がある大澤和巳さんは、子どもたちの交流の重要性を話した
  • ラオス・ドンニャイ村の学校に通う子どもたち(画像提供:飯舘村役場)
    ラオス・ドンニャイ村の学校に通う子どもたち(画像提供:飯舘村役場)
  • ラオスから来た生徒と交流する飯舘中の子どもたち(画像提供:飯舘村役場)
  • ラオスのパラ水泳選手が飯舘村で合宿を行った(画像提供:飯舘村役場)
  • ラオスに訪問経験がある大澤和巳さんは、子どもたちの交流の重要性を話した
  • ラオス・ドンニャイ村の学校に通う子どもたち(画像提供:飯舘村役場)

「避難指示」期間中も人の交流続ける

   きっかけは2009年、飯舘村の小学生を対象に行われた「出張講座」だった。内容は、恵まれない環境でも懸命に勉強しているアジアの子どもたちについて。話を聞いた小学生は「自分たちが何か応援できないだろうか」と考えた。その後、村や関係団体と共に、ラオス南部・ドンニャイ村に中学校建設のための費用の一部を支援する募金活動を始めた。

   だが2011年、東日本大震災。飯舘村は、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、同年4月22日に政府から「計画的避難区域」に指定される。全村民に避難が求められ、翌5月に開始。その後、指定の見直しが行われたが多くの住民が村に戻れない困難が長く続いた。

   それでもラオスとのパイプは途切れなかった。震災の翌年にはドンニャイ村の村長から、被災者を見舞う励ましの手紙が送られてきた。同じ2012年にドンニャイ村で中学校が完成。開校式に、飯舘村の職員が招かれた。16年にはラオスから同校の卒業生が来日。当時、福島市内の仮設校舎で学んでいた飯舘中学校の生徒と対面し、それぞれが伝統芸能の踊りを披露して楽しい時間を過ごした。交流の芽は着実に育っていった。

   2017年11月、飯舘村は東京五輪・パラリンピックの「復興『ありがとう』ホストタウン」に登録された。無論、対象国はラオスだ。現地の子どもたちを村の学校行事やイベントに招待するといった取り組みを、活動内容に据えた。

   一方で、17年3月31日に飯舘村は、一部を除いて避難指示が解除された。翌18年には、小・中学校が村の校舎で授業を再開した。ホストタウンの役割を担う「主役」の子どもたちが、村に戻ってきた。

パラ選手と一緒に給食、中学生同士がTシャツ制作

   飯舘村は2018年2月、ラオスに訪問団を派遣。一行は同国の教育スポーツ省を表敬訪問し、東京五輪・パラリンピックに出場する選手の合宿を村で行うよう検討してもらうため、「ぜひ視察に来てほしい」と招待状を渡した。このとき、放射能に関する詳しい資料を携え、村内で選手が練習する場所は線量が低い点を丁寧に説明した。

   訪問団はさらに、中学校建設を支援したドンニャイ村にも足を運んだ。ラオスの首都ビエンチャンから空路、さらに車で未舗装の道を数時間走る遠方の村。訪問団のひとりで「いいたてスポーツクラブ(前・飯舘村体育協会)」理事長の大澤和巳さん(58)は到着後、村民の「人懐っこさ」を肌で感じたという。建物は粗末で、決して豊かとはいえないが精一杯歓迎してくれる姿に胸を打たれた。「村同士の子どもたちの交流が、もっとできるといいと感じました」と振り返る。

   この半年後、ラオスから教育スポーツ相ら7人が飯舘村に視察に来た。陸上競技場やサッカー場を備えた、新しい「いいたてスポーツ公園」を案内すると、視察団は設備の充実ぶりに目を見張った。そして19年9月、ラオスの水泳パラリンピック選手・コーチら計12人が合宿にやって来た。10日間の滞在期間中、中学校のプールで練習。一方で、中学校では授業を見学し、生徒と一緒に給食を食べ、歓迎会や壮行会では参加者と触れ合った。大澤さんも選手と交流し、「明るく、とても前向きだった」と語る。

   ホストタウン事業の当初目的に掲げた、ラオスの子どもたちの招待も実現した。20年1月、ドンニャイ村から3人の生徒が、飯舘中を訪問。お互いのふるさとを紹介し合い、一緒にTシャツ作りに挑戦した。言葉はなかなか通じなくても、子どもたちはそれを苦にせずコミュニケーションを図った。

   大澤さんは、東京五輪・パラリンピックでは「村を挙げて、できればラオスの選手の応援に行けるといいですね」と話す。ラオスとは、震災以前から信頼関係を強めてきた。今回の五輪・パラ支援をきっかけに、「スポーツを通しての交流、例えばお互いが生涯スポーツを楽しめるような後押しを続けていけたら」と、大澤さんは望む。

(J-CASTニュース 荻 仁)

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