2020年 10月 20日 (火)

「復興」への思いを込めて、福島県の農業高校の生徒が作り続ける「ハマナス」ジャムや琥珀糖

   東日本大震災から9年が過ぎた。福島県南相馬市にある県立相馬農業高等学校は震災後、地元で育てた「ハマナス」や「菜の花」を利用した商品を開発、販売して地元の活性化や魅力の発信に一役買っている。

   ハマナスを使った「ジャム」や「琥珀糖」など、これらはふだんの授業から生まれた。授業にあたる大和田行俊(おおわだ・ゆきとし)先生と5人の生徒たちに話を聞いた。

東京・御徒町で開催された「ふくしままつり」に出品した商品は完売した(2019年11月16日、17日開催「ふくしままつり 2019」、提供:相馬農業高校)
東京・御徒町で開催された「ふくしままつり」に出品した商品は完売した(2019年11月16日、17日開催「ふくしままつり 2019」、提供:相馬農業高校)

東京でのイベントにも出店 生徒が直接商品の魅力を発信

   相馬農業高校は2019年11月16日、17日、東京・御徒町南口駅前広場で開かれた「ふくしままつり 2019」に、磐城農業高校や平商業高校、ふたば未来学園高校とともに出店。生徒たちが製造したパンやジャム、味噌、トマトジュースなどを販売した。

   「多くのお客さんが私たちの商品に目をとめ、手に取ってたくさん購入してくれたので、うれしかったです」と、藤澤朱莉(ふじさわ・しゅり)さん(2年生)は振り返る。

「味噌が早くに売り切れて、数少なかったかなと。すごい人気でした」

そう話すのは、西原朱莉(にしはら・あかり)さん(2年生)だ。

   このイベントのために用意した商品は完売。大盛況だった。


   高校の授業では地元で採れる農産物の「6次産業化」に取り組んでいる。その授業は、食品の製造から販売までを生徒たちが考え、運営する製販一体のユニークなカリキュラム。

「生徒が『会社』をつくって運営しています。食品流通コースの2年生と3年生。1学年に3つの会社があって、それぞれに社長(代表)が就いています。社長の下に、販売部長や広報部長、経理部長と平社員(部員)がいるんです」

そう説明する蒔田愛(まきた・あい)さん(2年生)は、販売部長だ。

   販売部は、校内で年に7、8回開かれる「相農ショップ」やイベントなどに出展するショップで接客に携わるほか、商品化したジャムなどをPR。売り場のポップを製作や、お客さまの動線の確保などを実践的に学ぶ。高校近くの家庭を訪問する販売実習もあって、蒔田さんは、「一人が台車を持って、『いらっしゃいませ』と売り歩きます。1年生は必ず通る道なんです」と言って笑った。

   製造部は、ふだんの授業で食品製造の技術研究や実験を繰り返しながら、先輩が作った商品や自らが開発した商品の「秘伝」のレシピをもとに商品を製造する。「相農ショップ」の定番で、地元でよく食べられている「がんづき」というゴマをふった茶色い「蒸しパン」や、「ふくしままつり」に出品したジャムやマドレーヌ、パンにトマトジュース、味噌、お菓子にラクピスという乳酸飲料なども、生徒が試行錯誤しながらこしらえた。

   指導に当たる大和田行俊先生の影響だろうか。江畑暁月(えばた・あつき)さん(3年生)によると、「地元愛が強い人ほど、地元の素材にこだわって食品研究しています」と話す。


ハマナスでつくる「琥珀糖」にヒット期待

   「ハマナス」に着目したのは、東日本大震災がきっかけ。海沿いに生息するハマナスが津波に流されたことで、耕作が放棄された土地に生徒たちが震災復興の思いを込めて、ハマナスの植樹園として管理、育成するようになった。

江畑暁月さん、藤澤朱莉さん、西原朱莉さん(後列左から)と、伹野桃花さん(前列左)と蒔田愛さん(同右)
江畑暁月さん、藤澤朱莉さん、西原朱莉さん(後列左から)と、伹野桃花さん(前列左)と蒔田愛さん(同右)

   伹野桃花(ただの・ももか)さん(3年生)は、「ハマナスを『復興の花』として守るという使命感を持って、高校で研究活動を続けてきたところ、その過程で花や実が食べられることがわかりました。先輩方が『ジャム』の商品化を考案。それがカタチになったのが2017年です。そのときのレシピを私たちが受け継ぎ、今も使っているんです」と、説明する。

   5月から夏の終わりにかけて花が咲く、ハマナス。ジャム作りは、実をつける9月から始まる。4、5人が放課後に集まり、だいたい2時間から3時間くらい。実がつぶれるまで煮込む。

   ハマナスの実は、種が大きく、加工できる部分はほんのわずか。ジャムを作るには多くの実が必要で、仮に実を10キログラム採ったとしても、果肉は半分以下の量になってしまう。希少価値の高い商品なのだ。

   2019年12月6日に開いた「相農ショップ」では、ハマナスの花を使った砂糖菓子の「琥珀糖」も販売した。「ジャムができるのならば、搾った汁でなにかできないかと考えたのが『琥珀糖』の始まりです」と、大和田先生。

   ワインレッドで、宝石のような存在感があり、味もいい。「『琥珀糖』はベストですね。あれはヒットすると思います」と、うれしそうに話す。

ワインレッドで、宝石のような存在感の「琥珀糖」
ワインレッドで、宝石のような存在感の「琥珀糖」

「南相馬が好き」だから、南相馬で働く

   2011年3月11日。生徒たちはまだ小学生だった。自分たちが今まで感じたことのない大きな揺れに、水やガス、電気が止まった。

   蒔田さんは、「どうしたらいいのか、周りのことがまったく理解できませんでした。放射性物質の影響がわかり始めたころには、『福島がなくなる』『地元の野菜は検査しても食べることができない』といったニュースが流れ、『自分の家や福島に帰れなくなるのではないか』『福島がなくなったら、自分たちはこの先どこに行き、その先何をすればいいのか』などと不安に思いました。今でも、まだ少し心の奥底にその気持ちが残っています」

と漏らす。

   それでも、生徒たちは「南相馬で生きる」と決めている。

   蒔田さんは「昔からパン屋さんをやりたいなと思っていて、将来は有名なパン屋さんになりたいです」と明かし、西原さんは「私は介護士になろうと思っていて、2学年から福祉を選択して学んでいます」と話す。

   伹野さんは、「進学して管理栄養士を目指します。そして、いずれは地元に戻ってきて、今までのことを恩返しというか、地域に貢献できるような管理栄養士になりたいと思っています」。江畑さんは「仙台にある専門学校に進みます。製パンを学んで修行して、南相馬に戻って、自分の店を開きたいと思っています」と語る。

   大和田先生は、「復興復興と力むことなく、自分がやらなければいけないことを必死にやってほしいですね。『自分がこの職で一人前になってやろう』『これでなにかを成し遂げよう』と働くことで、いつの間にかどこかで復興の手助けになればいいのではないでしょうか」と、生徒に伝える。

大和田行俊先生は「なにか恩返しできないものか、と考えていました」と振り返る。
大和田行俊先生は「なにか恩返しできないものか、と考えていました」と振り返る。

   大和田先生は震災のとき、学校にいた。「信じられないくらいの揺れで、いったいどうなるのかなと......。当時はここで再び授業ができるか、わからない状況でした」と話す。

   震災後は、被災したり、転校したりと、南相馬に残った生徒たちは少なかった。「しかし、残った生徒が『ここで頑張る』というのですから、私たちもそれに応えなければいけません。逃げている場合ではないので。ここで卒業させてもらったおかげで今があるので、なにか恩返しできないものかと考えていました」。

   ここ相馬地方はいい。魚はうまいし、コメも野菜も果物も、なんでも獲れる。それだけに名物がないようにいわれるそうだが、「どれも、ホントにおいしい」と、大和田先生は胸を張る。

   「いずれ田園風景が蘇ってくれればね。もっと、よくなりますよ」。そう言って、大和田先生は、また前を向く。


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