2020年 9月 29日 (火)

KKコンビの壁は高かった ミスター日ハム・田中幸雄氏が振り返る「1984年の甲子園」

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   高校球児にとって夢の舞台である甲子園。これまで春の選抜大会、夏の選手権大会で数多くのドラマが生まれた。甲子園のグランドに立ち、その後プロ野球選手になったもの、高校を最後に野球から離れたものもいるだろう。

   いずれも青春の大切な1ページとして記憶に残っているに違いない。J-CASTニュース編集部は、都城高(宮崎)で2度の甲子園出場を果たした「ミスター日ハム」こと田中幸雄氏(52)に当時の思い出を聞いた。

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PL戦は「胸を借りるつもりでいきました」

   田中氏は高校2年の時に、選抜大会、選手権大会に出場した。選抜大会は準決勝で敗れ、選手権大会は3回戦で敗退した。対戦校はいずれもPL学園(大阪)だった。田中氏と同学年で当時2年生だった桑田真澄氏と清原和博氏の「KKコンビ」が、春夏にわたって都城高の前に大きく立ちはだかった。

   1984年の選抜大会準決勝。2年生ながら2番・遊撃手として出場した田中氏は、試合前の心境をこう振り返った。

「PLは甲子園の常連校でしたし、桑田、清原がいて優勝確率が高い学校でしたから、胸を借りるつもりでいきました。自分たちの力がどれほどのものか知りたい気持ちもありました」

   準決勝戦の下馬評は、前年(1983年)の選手権大会を制したPL学園に大きく傾いていた。だが、試合は都城高のエース田口竜二投手がPL打線を抑え込み0-0のまま延長戦へ。迎えた11回裏のPL学園の攻撃。2死1塁の場面で桑田氏が放った飛球をライトの守備が落球し、1塁ランナーが一気にホームをおとしいれサヨナラゲームに。試合はあっけなく幕を閉じた。

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