外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(17)哲学者・高橋哲哉さんと考える 歴史認識と「犠牲のシステム」

   コロナ禍のもとで生まれた「BLM(ブラック・ライブズ・マター)」運動は、各地で奴隷制や人種差別にかかわった人物の銅像引き倒しや、破壊にまで突き進み、その動きは欧州にも波及した。いま。なぜ社会に組み込まれた「構造的差別」が問題にされているのか。哲学者の高橋哲哉さんと共に考える。

  •                       (マンガ:山井教雄)
                          (マンガ:山井教雄)
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BLM運動の背後にある「構造的差別」

   すでにノーマ・フィールドさんの回でお伝えしたように、ジョージ・フロイドさん殺害事件をきっかけに全米で広がったBLM運動は、南北戦争で奴隷制維持の側に立った南部連合の指導者の銅像引き倒しや、南軍の旗をあしらった州旗のデザイン変更、先住民を指す「ワシントン・レッドスキンズ」のチーム名変更などの動きにまで広がった。

   それだけではない。米紙ニューヨーク・タイムズは2020年6月16日付(電子版、同25日改稿)の「歴史の再考」という記事で、「バージニアからニューメキシコまで、警察の暴力への抗議は、数百年の米国史の泡立ちを表面化させた」という前文に続き、BLM運動が全米各地でさまざまな「偶像破壊」をもたらした、と報じた。

   オレゴン州ポートランドでは、群衆が「建国の父」トマス・ジェファーソンの銅像を引き倒した。これは、彼が生前、600人以上の奴隷を使っていたという理由からだ。

   バージニア州リッチモンドでは、新大陸を「発見」したクリストファー・コロンブス像に落書きがされ、火がつけられたのちに湖に投げ捨てられた。探検家が南北アメリカの先住民抑圧の先鞭をつけた、という理由だ。当初は人種差別や奴隷制に向かっていた矛先が、植民地主義や先住民への抑圧に対する批判へと広がる兆しだった。

   6月16日には、ニューメキシコ州アルバカーキで、先住民800人の虐殺を命じたコンキスタドール(征服者)のホアン・デ・オネートの銅像が撤去された。この像をめぐって群衆がぶつかり、発砲事件があったためだ。

   同じ日、ノースカロライナ州の州都にあったジョセファス・ダニエルズの銅像が子孫の意向で撤去された。この人物はウッドロー・ウィルソン大統領のもとで海軍長官を務めた新聞発行者だが、白人優越主義者としても知られていた。同24日には、カリフォルニア州の州都サクラメントにあったジョン・サッター像が撤去された。「サッター砦」を築き、ゴールド・ラッシュのきっかけを作った人物として知られるが、先住民を搾取していたことが問題視された。また、最古の騎馬パトロール隊として知られる「テキサス・レンジャー」の像が、ダラスから撤去された。これも、法執行機関による先住民への暴力が批判を受けるという懸念からだ。

   ノーマさんの回で書いたように、トランプ大統領は独立記念日前の7月3日夜、4人の大統領の顔を岩に刻んだラシュモア山を背に、こうした記念碑や銅像の破壊を「左翼の文化革命」と呼んで厳しく非難し、対決姿勢を鮮明にした。1966年から10年にわたって中国全土に吹き荒れ、多くの死者と文物破壊をもたらした中国の「文化大革命」にBLM運動を重ね合わせ、保守や白人の支持層に訴える狙いからだ。

   私自身は、感情の赴くままに行われるこうした「偶像破壊」は、決して生産的とはいえないし、シンボルによる政治操作が忍び込む危うさもあると思う。ベルリンの「壁」崩壊は民意の直接の発露であったし、旧ソ連崩壊後のスターリン、レーニン像の撤去や、都市・道路の改名は、イデオロギーによる抑圧体制のシンボルの解体を意味した。

   だがイラク戦争におけるフセイン像の引き倒しは、顔に星条旗をかけ、米軍の装甲車で引き摺り倒すという「演出」が濃厚に出ていた。政治的なシンボルを引きずり下ろす行為は、極めて政治的にならざるを得ない。

   私は、かつてバチカンにいた日本人枢機卿から、こんな言葉を聞いたことがあった。

「ローマが偉大なのは、あらゆる愚行や蛮行の跡を破壊せずにそのまま遺跡として残し、歴史の教訓を今に伝えているからです」

   たぶん、BLM運動の激化の背景にあるのは、今も続くマジョリティによるマイノリティへの「構造的差別」が、そうした差別を助長した人物への公的空間での顕彰というかたちで、存続していることへの怒りだろう。

   彼らは、そうした記念碑が、過去の遺物ではなく、今もマジョリティによる差別や暴力を正当化し、「アメリカの伝統」の一部として、敬意のまなざしを強制することに、耐えがたさを感じているのだろうと思う。

   だが歴史は、たんにシンボルの破壊や除去によって見直すことはできないと私は思う。蛮行や過ちの歴史は、それを記録し、保存し、新たな解釈と補遺を加えることによってしかのちの世に伝わらない。奴隷を使っていたジェファーソンの像やコンキスタドールの像をたんに破壊したり撤去したりするのではなく、公共空間から博物館や歴史展示館に移し、そこに新たな解釈や歴史論争の結果を示すべきではないだろうか。博物館や歴史展示館は、絶えざる歴史の見直しや論争を引き起こす「開かれた議論の場」であると思うからだ。

   2005年、ベルリン歴史博物館で、「ドイツの戦後展」を見たことがある。冒頭から、「私たちが歴史に向き合ったのは最近のことで、しかも不承不承だった」と率直に記すように、東西分断国家が対立する過程で、西独ではナチス関係者が支配層に残り、東独ではナチスの責任を「西側」に押し付けて直視してこなかった過去を振り返り、「隠蔽」の歴史を克明に展示していた。さらに、時の外相ヨシュカ・フィッシャー氏が、1999年にNATO(北大西洋条約機構)による空爆を支持し、緑の党の党大会で反戦主義者から塗料を投げつけられ、服を真っ赤に染めるビデオを繰り返し上映し、手書きの反戦プラカードすらも「史料」として展示していることに驚かされた。歴史解釈はつねに未完の精神闘争であり、博物館は論争に開かれた場として、起きたことをそのまま記録し、公開するという、戦後ドイツの歴史観をそこに感じた。

   それはともあれ、ニューヨーク・タイムズ紙は7月3日付(電子版)で「BLMは米国史最大の運動の可能性」という記事を掲載し、4つの世論調査をもとに、その時点で全米の1500万人~2600万人が「BLM」の抗議デモに参加したという推計を報じた。

   コロナ禍という熱源によって、積年の「差別構造」という鉄の圧力釜が熱せられ、その蒸気がBLMとなって迸り出る。そんな構図が浮かび上がる。

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