2021年 6月 18日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(17)哲学者・高橋哲哉さんと考える 歴史認識と「犠牲のシステム」

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安倍政権の対応と「命の選択」

   今回のコロナ禍で高橋さんが気になるのは、安倍政権の対応だ。

   「予想通りと思ったのは、オリンピックとの関係でした。3月24日まで、安倍首相も小池都知事も、コロナに対する危機感が全く感じられなかった。PCR検査の拡充や防疫体制の整備など感染対策が叫ばれていたにもかかわらず、ほとんど無策だった。ところが東京五輪の1年延期が決まったとたんに、小池知事が俄然メディアでコロナ危機を叫び出した。これ自体、都知事選をにらんだ事実上の『選挙運動』だったと思いますが、安倍首相はこれに焦ったかのように、緊急事態宣言に踏み切りました。オリンピックを『レガシー』にしたい安倍首相も小池都知事も、コロナ対策以上に自らの政治的思惑を優先しているように見えます」高橋さんはそう語る。

   だが、安倍政権の対応には、単にチグハグであるとか、人々の意識とずれているということ以上のものを感じる、という。

   第2波の襲来は明白であるのに、医師会や専門家の警告も無視して、「経済を回す」路線に固執している。財界の意向というだけでなく、誤解を恐れずにあえて言えば「人口調整」の思惑があるのではないか、と疑ってしまうという。その「思惑」とは、次のようなものだ。

「若い世代は感染しても回復するから問題がない。むしろ集団免疫を獲得するには感染したほうがよい。それで高齢者に広がって死者が増えたらどうするのか。絶対に表立っては言えないが、それはそれで、『人口調整』になるのではないか」

   「絶対に表立っては言えない」はずのことを、中には公然と言ってしまう人もいる。「れいわ新選組」から次期国政選挙に立候補を予定していた大西つねき氏が、「命の選別をするのが政治の役割だ。高齢者から逝ってもらうしかない」と発言して、党から除籍された。一定の人々を「生かしめる」一方で、一定の人々を「死ぬにまかせる」政治、ミシェル・フーコーの言う「生権力」による「生政治」。これが、今このコロナ禍の中で作動しているのではないか。高橋さんは、そう危惧しているという。

   こうした政治は、日本でも「津久井やまゆり園事件」で顕在化したような優性思想と、深い親和性がある。そして、「ヤスクニ」の論理と同じとまでは言えないが、国家・社会を維持するためとして一定の人々の「犠牲」を肯定する点では、その論理ともつながる。さらにそれは、福島や沖縄に見られるような構造的差別ともつながっている。安倍政権によるコロナ対策が、隠れた「人口調整」戦略になっていないかどうか、厳しく監視していく必要があります、と高橋さんはいう。

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