2021年 6月 17日 (木)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(17)哲学者・高橋哲哉さんと考える 歴史認識と「犠牲のシステム」

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「土人」という発想

   福島第一原発の事故以来、高橋さんはネット上で「東北土人」や「福島土人」という言葉が使われていることに衝撃を受けた。こうした差別の根底には、幕末から明治にかけての戊辰戦争で、会津・庄内藩と奥羽越列藩同盟が官軍に敗北して以降、「白河以北一山百文」という蔑みの表現が使われたことを想起させる。「貧しい地方」、「遅れた地方」という差別のまなざしだ。

   これは沖縄にも言える。沖縄では2016年10月、米軍北部訓練場のヘリパッド移設工事をめぐって、大阪府警の機動隊員が、工事に反対する市民に向かって、「土人」呼ばわりする事件が起きた。これを、単なる失言と見過ごしていけない、と高橋さんはいう。

   1903年には大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会で、「人類館事件」が起きた。これは、「学術人類館」という展示で沖縄、アイヌ、台湾原住民、朝鮮、清国などの人々に民族衣装を着せ、日常生活を送る様子を見せる展示だった。沖縄、清国がこれに抗議したが、当時の沖縄の言論人は、「帝国臣民の沖縄人を、他の民族と同列に置くのは侮辱だ」と抗議し、それはそれで、他の植民地に対する屈折した優越意識をうかがわせる内容だった。だがそれよりも、この展示そのものが、マジョリティが自らを「文明」とみなし、被植民地の人々よりも「民度」が高いことを誇る装置であったことに、高橋さんは注意を喚起する。

「欧米列強の植民地主義には、自らが卓越した民族で、遅れた地域を文明化することが我々の使命だ、という優越意識がある。その意識は、当時盛んになった人類学や、その後の文化人類学にまで貫かれている」

   日本の「人類館」も、19世紀から20世紀にかけ、欧州各地の万博などで異民族の人々を「展示」する「人間動物園」の系譜を引く「見世物」だった。

   こうして長い歴史をかけて刷り込まれた差別や偏見は、簡単には消すことができない。ここで大切なのは、メディアの役割だ、と高橋さんは指摘する。不可視化された「犠牲のシステム」を可視化するよう、絶えざる努力を積み重ねることが、メディアには求められている。

   沖縄では連日のように、人口10万人あたりの全国最多の感染者数が報じられているが、日米地位協定の抜け穴によって、米兵が基地の外に感染を広げていないかどうか、その実態がきちんと地元に報告されているかどうかについて、本土のメディアが報じることは少ない。おそらく、読者や視聴者の多くが、「犠牲のシステム」によって利益を享受する本土の人であるため、そのシステムを明るみに出すことを躊躇するか、自粛して問題を回避しようとする判断が働くためではないか。

   高橋さんは以前、沖縄の女性ライター、知念ウシ氏と中央紙で対談したことがある。「高橋さんも基地を持って帰ってくださいね」という発言を編集者が削除したため、知念氏が、「そこが大事なんだから残して」と要請した。結局、紙面に復活したが、その時に編集者が、「数百万読者を相手にしている新聞なので」といったことが強く印象に残った、と高橋さんはいう。「マジョリティ」を重んじ、「不都合」な事実を指摘してその神経を逆撫でしたくない、というメディアの配慮がにじみ出ていたからだ。

「沖縄は安保に貢献してくれている。福島は明治以来、水力・火力から原発に至るまで、一貫して首都圏にエネルギーを供給してくれている。そうした『感謝』の言葉は当たり障りがないが、それではまったく犠牲がなくならず、『尊い犠牲』として戦死者を靖国神社に祀り上げた過去と構図は変わらないことを、意識しているべきでしょう」

   ネット上では、少数派に対するいわれのない誹謗中傷や、バッシングが続いている。コロナ感染者や医療従事者への差別や偏見もあとを絶たない。高橋さんは、福島第一原発のあと、被害を受けた避難者を差別する言動が広がったのと、同じ風潮を感じる、という。

「放射線もウイルスも目には見えない。人は異質なもの、自分が不気味と感じる者に対し、自己防衛で遠ざける本能がある。防衛的になることは、ある程度やむをえないが、不安のあまり過剰に反応し、責任のない人に、いわれなき誹謗中傷を向けることは許されない。匿名で発信できる仮想空間では、そうした攻撃的態度が誘発されやすいことを自覚するべきでしょう」
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