2024年 4月 20日 (土)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(18)変わる「働き方」と「地方の時代」

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雑誌「地域人」の編集長・渡邊直樹さんと考える

   雑誌「地域人」の編集長は、大正大地域構想研究所の客員教授、渡邊直樹さん(68)だ。その渡邊さんに8月18日、ZOOMで話をうかがった。

   渡邊さんの経歴は多彩だ。その名を知らなくても、渡邊さんが雑誌編集長としてプロデュースし、世の中に送り出した企画や連載をまったく知らない人は少ないだろう。

   東京大文学部宗教学科を卒業して1976年に平凡社に入り、雑誌「太陽」で編集を担当した。当時「太陽」の編集長をしていた嵐山光三郎さんと「青人社」の創設に加わり、月刊「ドリブ」を創刊、3代目の編集長を務め、嵐山さんの知り合いの著名作家に加えてサブカル系のライターを起用し、篠山紀信さんの写真も話題となって部数を伸ばした。その後、扶桑社で雑誌「SPA!」を創刊し、編集長として連載を始めた小林よしのりさんの連載「ゴーマニズム宣言」は社会的関心を呼んだ。次に創刊した「月刊PANJA」では「孤独のグルメ」の連載を手掛けた。

   さらに、アスキー社で「デジタルとアナログの融合」をキャッチフレーズに「週刊アスキー」を創刊。1998年に本コラム掲載の「J-castニュース」を運営するジェイ・キャストの草創期にかかわり、中央公論新社で「婦人公論」の編集長を務めた。

   2004年に大正大学に招かれ、新設した表現学部で出版編集コースのコース長として教鞭をとりながら、国際交流基金の雑誌「をちこち」編集長や、年刊「宗教と現代がわかる本」(平凡社)の責任編集者も兼務。2015年からは雑誌「地域人」編集長を務めている。

   百科事典で名高い出版社の老舗雑誌から、サブカル系、コンピューター雑誌、女性雑誌まで。その歩みはジェットコースターのように目まぐるしいが、時代の先端を読んで、世間の『空気」をかたちにするという点で、驚くほど一貫している。コロナ禍の時代は、渡邊さんの目に、どう映っているのだろう。

   通常の月刊の発行日を延ばし、代わって特別号の発行を決めたのは4月末、感染拡大で大学が閉鎖された時期だった。大学側から「このような時期だからこそ、地域構想研究所の総力を挙げて取り組めないか」という打診を受け、直ちに発行を決めた。

   その素早い対応の裏には、2011年の東日本大震災の体験があった、という。仏教系の大学として、大正大の教員と学生は、天台宗・中尊寺に近い沿岸の宮城県南三陸町にボランティアとして入り、復興支援に取り組んだ。渡邊さんはその活動を「3・11大震災 大学には何ができるのか」(平凡社)にまとめ、出版した。

   その後、大学が援助し、南三陸町の有志が研修施設「南三陸まなびの里いりやど」を建設し、同大は「私大ネット36(さんりく)」という組織の結成を呼び掛け、「いりやど」を拠点に学生が震災体験や復興を学び、研修する息の長い活動を続けてきた。

   2016年にできた地域創生学部は、1学年に100人前後の学生が所属しており、1年と3年時には全国11か所の実習地、90前後の提携自治体の協力を得て、全国各地に10人前後が分散して約2か月間住み込み、地域の歴史や暮らし、実態を学ぶことになっている。大学のある東京・巣鴨全体をキャンパスに見立て、地域のお祭りに参加したり、地元商店街に東北、京都、北宮崎の産品を売るアンテナ・ショップ「座・ガモール」を開くなど、学生参加型の実習に力を入れてきた。卒業生には、地方で就職するよう奨励するなど、地方創生の発信やサポートの拠点となることを目指してきた。

   特別号は養老孟司さんがZOOMで参加する形で渡邊さんと、元環境省自然環境局長の小野寺浩・地域構想研客員教授が巻頭で鼎談した記録を載せ、「新型コロナと防災・減災」「新型コロナで見えてきた問題と可能性」「ローカルの時代」「地域人材の育成」という特集を連ねた。

   鼎談の中で養老さんは、「目線」という言葉を使って、コロナ禍の現状を説明している。

   養老さんは、感染者数などの統計は「神様目線」であり、上から眺めている限りはリアリティがない、という。これに対し、「日常目線」は文学にあるとして、カミュの「ペスト」を引き合いに出す。

「上から下ろすか、下から上げるか。下から見る、つまり文学目線でものを見るとニーズが見えてくるんです。グローバリズムというのは上から目線ですよね。日常生活の目線が消えてしまい、統計数字で見れば、平時に医療を充実させることはない。震災の対策みたいなことを当然考えません」

   養老さんは、専門家同士の会議に官僚や政治家が加わった時に、目線の違う人たちを集めても、話はかみ合わないだろう、という。その一例として養老さんが挙げるのは新型コロナウイルスのイメージ画像だ、その画像は実寸を100万倍に拡大したものだ。その画像の横に立っているアナウンサーを100万倍に拡大すれば、身長は1千キロを優に超える。

「100万倍の大きさで目で見た世界で考えると、ウイルスとアナウンサーが並ぶんだったら、日常から1千キロのことを考えながら生活しなければならない」

   ここでの養老さんの指摘は、新型コロナを語るときには、どういう視線で、どのレベルで語るのか、その違いを明瞭に意識していなくてはいけない、ということだろう。100万分の1を日常的に扱う感染症対策の専門家と、100万倍の世界を考える立場では、当然見方が分かれる。100万倍に拡大したウイルスのイメージ写真の脇でアナウンサーが説明しているのを見て、私たちはその「共存」に疑問を抱かず、問題を「理解」していると思いがちだ。しかし、実はその問題がいかに「理解できないか」を意識することの方が、コロナ禍に向き合ううえで遥かに重要だ、という指摘だろう。

   渡邊さんは8月10日発売号の「地域の暮らしはどうなるか」で、建築史家の藤森照信さんにインタビューをして巻頭に掲げた。

   その中で藤森さんは、世界の都市建築を研究してきた結果、人類は有史以来、経済都市では一貫して「過密」を形成してきたことを知った、という。「コロナ禍後、その歩みは変わるのか」という渡邉さんの質問に対し、藤森さんは次のような印象的な答えを返している。

「コロナ以降、変わるとは思うけど、分散化という形にはならないんじゃないかな。行ったり来たりになるかもしれません。行ったり来たりだと、分散しているわけではないんですよね。あらゆる変化が、すでに小規模に起きていたことが一気に加速化するという感じです。コロナ以前からすでに起きていたことが、一気にバーッと加速するということだと思います」

   今年で創刊5年になる雑誌で地方の動きを見守ってきた渡邊さんは、「すでに小規模に起きていたこと」について、次のように言う、

「この5、6年、若者たちの意識が変わってきた。いったん社会に出て就職した人が、20、30代で価値観を変え、地方に住みたいと思う人が明らかに増えた」

   地方移住の動機はさまざまだ。外資系コンサルタントの会社に就職した人が、仕事に飽き足らなくなり、社会貢献をしたいと帰郷したケース。食の安全や環境に関心が高く、「持続可能」な社会の一員になりたいと、首都圏でも自然の豊かな地方に移住したケース。さらに子どもを豊かな自然環境のもとで育てる「森のようちえん」に通わせるため、地方に移住するケース。

   そうした例に加え、渡邊さんは、この数年、緩やかに地方とかかわる人が増えてきたことに注目する。

「以前は、地方に移住するには、祭りと消防団への参加が欠かせない、と言われた。そうしないと地域に溶け込めない、と。しかし、練習が厳しい体育系の運動部は嫌だが、同好会なら入れるという人がいるように、移住はしないまでも、2拠点を持って時々長期に滞在するとか、観光客とは違ってリピーターになり、地域のファンになるといった例が増えている」

   さらに、実際に地方には住まないまでも、金銭面や購買で地方を支援したい、という人は着実に増えたという。

「今回のコロナ禍で、飲食店への卸しができない地方の特産品を、ネットで販売し、消費者が中抜きで産地と結びつく回路が役に立った。ふるさと納税も、返礼品を目的とするのではなく、応援したい自治体が、子育て支援や環境保護に使うことを求める動きも出ている。今回注目されたクラウドファンディングも、人の挑戦や夢の実現を大勢で支援する試みだ。寄付文化が根付かないと言われたこの国の風土が、変わりつつあるのを感じている」

   こうした小さな潮流は、コロナ禍でも、まだ目だってはいない。しかし、従来型の需要喚起型の景気浮揚策の効果が上がらず、なかなかインバウンドが回復しないとなれば、将来の「アフター・コロナ」で大きく成長する可能性がある。

「そうした全国各地の小さな芽は、今回のコロナ禍で、持続可能な社会を目指す動きにつながっていくかもしれない。日本は75年前の原爆投下で核兵器廃絶を、2011年の福島第一原発事故でエネルギー政策の転換を世界に訴えるチャンスを得たが、それを活かしきれてこなかった。今回のコロナ禍は、ある意味では、持続可能な社会に転換する最後のチャンスなのかもしれない」

   今回のコロナ禍で、政府の施策があまりに遅く、しかもちぐはぐなことに、憤る人は多い。だが、「文句をいう」ことは、ある意味では依存していることにつながる、と渡邊さんはいう。

「自立を目指す若い世代を少しでも支え、応援する。そんな立場から、今後もポスト成長社会や地方自治などのテーマに取り組むつもりです」

   いつも時代の先端に身を置き、その空気を形にしてきた渡邊さんは、今また「地方」という時代の最前線に立っているのかもしれない。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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