2024年 4月 20日 (土)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(24)元NHK解説主幹の柳澤秀夫さんと考えるテレビ報道

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コロナ禍とテレビの伝え方

   2018年にNHKを退局した柳澤さんは、その後、テレビ朝日の「大下容子 ワイド!スクランブル」などでコメンテーターを務めてきた。

   「自分はいつも現場に行って取材し、自分で見聞きしたことを報道してきたので、コメンテーターという立場そのものに、いまだに居心地の悪さを感じている」という。

   それは、漁師が海や川に行って自分で魚を獲ることと、獲れた魚を包丁さばきでどう調理して見せるかというくらいに、違う作業のようにも思えるらしい。

   テレビの情報番組では、ジャーナリスト出身者もいるが、タレントやスポーツ出身者、学者、専門家ら多彩な人がコメンテーターとなる。そうした中で柳澤さんが心がけていることは、「社会には多様な価値観があり、事実をどう解釈するかだけでなく、その解釈をどう行動に結びつけるかについても、多くの道筋があることを示すこと」にあるという。世の中が一つの方向にぐっと流されることを警戒し、歯止めをかけること、と言い換えてもいい。

「テレビでコメントをする時は、何を言うかどうかだけでなく、自分が言うことをどう見せるか、あるいは自分自身をどう見せるかを意識する人が少なくないように思う。つまり、キャラクターづくり、あるいはキャラ立てをして世間の注目を集めるということだろう」

   一視聴者としてテレビを見ると、人によっては、中身よりも、それをどう見せるかに腐心する様子に気が付くことがある。内容に対する反応というより、表層的にどう切り返し、そこでどう個性を見せるかということに重きを置く傾向だ。

「テレビ局の側も、自分たちが言いたいけれど言えないことをコメンテーターに代弁してもらい、そこで視聴率を取る、ということになりがちだ」

   極端なことを言ったり、過激なことを言ったりする方が視聴率を稼げるということになると、何を伝えるかということよりも、どう見せるかに重きを置くという方向に、本質がずれる恐れはつねにある。

   だが今回のコロナ禍の場合、主要メディアは政府や専門家会議の発言やデータをそのまま伝えるだけで、その意味合いを掘り下げることは少なかった。解説でも、公式発言の意味を噛み砕いて説明するだけで、どのような文脈でその発言がなされ、その背景や問題点までを深く指摘する解説は少なかったように思う。その情報不足を埋め、未消化な部分に素朴な疑問をぶつけて視聴者の受け皿になったのが、ワイドショーなどの情報番組だったのではないか。たとえば、初期にPCR検査を受けたくとも受けられず重症化した感染者のケースを繰り返し取り上げ、厚労省の指針に疑問を突きつけたのがワイドショーだったことは否定できない。私のその指摘に対し、柳澤さんはこう話す。

「自戒を込めて言えば、私たち素人でも、毎回専門家の話をうかがえば、専門家になったような錯覚に陥ることがある。本当に専門性を高めるくらいに知見を深めていればいいが、実際はそうでない。そこに自分の立ち位置がわからなくなる怖さがあった」

   そのうえで柳澤さんが指摘するのは、今回の新型コロナは、専門家にとっても未知のウイルスで、その特性もわからず、当初は有効な治療薬もワクチン開発の手掛かりすらもまったく見えていなかったという事実だ。

「ウイルスや感染症、公衆衛生の専門家であっても、わからない部分が多い。専門家であっても、発言に慎重な人もいれば、そうでない人もいる。テレビや新聞を見ながら、何を信じていいかわからない、という状態に置かれた人が多かったのではないか」

   その結果、判断の基準や根拠が目まぐるしく変わり、対応も揺れ動いた。

「最初はトランプ大統領の言っていたように、季節性インフルエンザと同じで、いずれ集団免疫で自然に収まるという発言に納得しそうになっていた人も、感染者数や死者が増えて深刻化すると、手のひらを返すように厳しい行動制限を望み始めた。我々メディアも含めて社会の声の振れ幅は実に大きかったように思う。時間が経ってハッと気づくのは、今回の新型コロナは未知のウイルスで、その事実に謙虚に向き合わねばならない、という当然のことだった」

   欧米の他の先進諸国に比べ、日本の感染者や死者が少ない理由、いわゆる「ファクターX」についても、それが日本人に特有の衛生意識のせいなのか、遺伝子など特有の要因によるものなのか、まだわかっていない。

   「質問されれば、専門家も、『わからない』とは言いにくい。わかっていないのに、わかったような発言をすれば、ミスリードにつながる。行政も、準備不足や不手際については、なかなか認めたがらない。そうすると、『わかったつもり』とか、『きちんとやっている』という擬制が重なって、何が真実なのかが見えにくくなる」と柳澤さんはいう。

   その点はメディアも同じだ。「民間臨時調査会」は、政府対応を「場当たり的」で、その場しのぎと指摘したが、総合的で中長期的な展望を欠いていた点ではメディア報道も同じだったろう。

「治療薬やワクチン開発など、つねに現在進行形の新しい動きを追い、それを伝えるのがメディアの役割。だがその一方で、過去に起きたことを丁寧に検証し、どこに問題があったのかを洗い出すこともメディアの役割だと思う。そうでなければ、同じ混乱を二度も三度も繰り返すことになってしまう。コロナ禍は過去のものではなく、今も進行形なのだから、絶えず振り返って検証しつつ、今を追い続けるという課題を突き付けられていると思う」
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