2024年 4月 24日 (水)

分散参拝で話題の「初詣」「除夜の鐘」 伝統行事を振り返ると...意外に歴史は浅かった!?

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戦前は鉄道で、戦後は車で

   本来恵方参りの習慣にならうなら毎年参拝先は異なるはずだが、それでは困る鉄道会社は恵方に関係なく沿線の寺社に乗客を呼び込もうとした。例えば京阪電鉄では1914年の正月、大阪からみてこの年の恵方に当たる男山八幡宮(石清水八幡宮)への参拝を呼び込む広告を出したが、翌1915年には「恵方以上ニ神威大ナル男山八幡宮厄除大祭」という広告を打っていた。恵方であろうとなかろうと参拝の足に乗ってくれればいい、というのが本音のようで、鉄道各社の宣伝合戦のうちに、どこが恵方かは関係なく電車で初詣に行けばいい、という風潮になった。

   こうして江戸時代の習俗が徐々に失われ、元旦に参拝する初詣の習慣が定着していくが、平山さんは関東大震災と明治神宮も決定打になったと論じる。関東大震災で下町が壊滅し、東京西部の開発が進むと古い寺社の廃絶・移転も進んだ。明治神宮は1920年の創建だが、国民に敬愛された明治天皇の威光は健在で、原宿駅のすぐ近くというアクセスのよさもあり、当時から多くの参拝客を集めていたそうだ。現代の初詣参拝客上位の常連である明治神宮・川崎大師・成田山は戦前で既に初詣の定番となり、人々が集まる構図が完成されていたのである。

   初詣は特に元日でなければならない、との古来からのいわれはなく、近代に鉄道と寺社の都合によい、俗な理由で定着していったといえる。

   ちなみに大晦日の終夜運転も鉄道の競争で始まったと平山さんは指摘する。成田山にアクセスする総武本線・成田線に国鉄が1928年正月(1927年の大晦日)に臨時列車を走らせたのが始まりで、競合する京成電鉄も追随、他社の路線にも普及していった。

   戦後も初詣の習慣が続いた理由には、別の要因も指摘されている。モータリゼーションで自家用車がポピュラーになると、寺社はしばしば交通安全を祈願する「自動車祈祷殿」を建てた。川崎大師にも成田山にもこの自動車祈祷殿が建っている。交通安全の参拝も年始に多く、正月に寺社に詣でる習慣が継続されたと推測する論もある(畑中章宏「死者の民主主義」)。

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