2024年 4月 27日 (土)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(30)歴史家・ 磯田道史さんと考える「過去の知恵」

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スペイン風邪、日本での犠牲

   速水氏の調査によると、スペイン風邪による死者は、「日本内地」だけで45万人、樺太で3800人、朝鮮で23万人、台湾で4万9千人に上る。

   その研究は、感染による死者の規模を明らかにしただけではない。スペイン風邪が「3波」にわたって襲ってきたことを明らかにしたことが、さらに重要だ、と磯田氏は指摘する。それは以下のような経過をたどった。

第1波 1918(大正7)年5月~7月
高熱で寝込む人がいたが、死者を出すには至らなかった(春の先触れ)

第2波 1918(大正7)年10月~19年5月頃
26・6万人が死亡。18年11月は最も猛威を振るい、学校は休校、交通・通信に障害が出た。死者は19年1月に集中し、火葬場が大混雑になるほどだった(前流行)

第3波 1919(大正8)年12月~1920年5月頃
死者は18・7万人(後流行)

   「前流行」では、死亡率は相対的に低かったが、多数の罹患者が出たので、死亡数は多かった。「後流行」では罹患者は少なかったが、その5%が亡くなるという高い致死率になった。

   磯田さんは、未知のコロナ禍に対処するうえで役立つのは第一に「自然科学のウイルスの知識」であり、第二に「歴史的経験」であるという。今回のコロナと、スペイン風邪のような当時の「新型インフルエンザ」は違う。しかし「感染致死率は1割に達しないが、患者1人が2~3人にうつす感染力でパンデミックとなり、世界で多数の死者を出す」という点ではよく似ている。もちろん医療事情などで当時と今は違うが、今と類似の歴史現象で近代医学の記録が最も多く残されているのはスペイン風邪だという。

   そうした前提から、磯田さんは「感染症の日本史」の1章を「スペイン風邪百年目の教訓」にあて、速水氏の著書などを引き合いに、二つの感染症の比較と、そこから汲むべき「知恵」を導いている。その根幹にあるのは、感染の波は何度も襲来するということであり、変異をしたうえで致死率を高めることがある、という警告だ。

   興味深いのは、当時も「経済への打撃」や「医療崩壊」の危機があり、軍隊など密な集団でクラスターが発生し、貿易港神戸で働く人や市電運転手など、人の移動や接触が多い場所で働く人に感染が広がるなど、今と同じ現象が起きていることだ。それだけではない。当時も日本ではマスクの使用が奨励されたが、「アメリカのように強制的に、マスクを着けない者は電車に乗せないほどではなかった」(速水氏)という風に、百年前にすでに、「要請と自粛の日本文化」と「ペナルティを科す西洋文化」というコントラストがあらわになっていた。

   詳しくは「感染症の日本史」をお読みいただきたいが、同書にはスペイン風邪だけでなく、天然痘や麻疹(はしか)などの疫病と日本人がどう戦ってきたのかを、様々なエピソードや逸事を引いて描写している。一読をお勧めしたい。

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