2024年 4月 19日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(36)民間臨調報告書に見る「失敗の本質」

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メディアは、なぜ検証できないのか

   今回の検証報告を読んで私が感じたのは、以前であればこうした本格検証は、メディアが担っていた、ということだった。

   欧米にはシンクタンクは珍しくなく、米国では政党系のシンクタンクが、下野した政府高官の受け皿になって、政策の提言などに関わる。こうした「回転ドア」の受け皿と呼ばれる政党系以外にも、独立系のシンクタンクが数多く、政策を研究・検証・提言している。

   だが日本のシンクタンクの多くは金融機関の調査部門を拡充し、自治体や企業を相手に調査や企画を請け負うことが一般的だ。

   では、欧米などの独立系シンクタンクに当たる機能を引き受けるのはどこか。私はメディアがそれを引き受け、少なくともその任にあたることが目標だろうと思ってきた。

   だが、以前は大きな事件・事故が起きた時には決まって取材班を立ち上げ、徹底的に検証してきたはずのメディアの影が、このコロナ禍においては、著しく薄いように思う。もちろん、緊急事態宣言など、大きな節目ごとに政治・官庁・経済界や医学界の動きを追って克明に報じてはいるが、PCR検査の「目詰まり」の構造的な問題や、IT・バイオ産業の決定的な遅れなど、コロナ禍が鮮明にした日本の問題や課題に迫った検証は、数少ないように思う。

   かつて新聞社でさまざまな検証に携わった大塚さんは、日本のメディアには専門家にアドバイザー役を担ってもらうことはあっても、専門家の知見を十分に活用したり、その協力を全面的に仰いだりするという発想そのものが希薄だったのではないか、という。それは自らの力を過信しすぎているという側面もあったのかもしれない。私の知る範囲でも、外交文書の公表に当たって歴史研究者と協力したり、政治動向調査に当たって政治学者の協力を仰いだりするなど、ごく一部に留まっている。大塚さんはさらに、今回は記者クラブ制度の弊害が、もろに出たのではないか、とも指摘する。

「役所の発表文書を横縦に文章に書き換えるだけで、一日に何本かの記事を書き、仕事をした気になってしまう。厚労省のPCR検査抑制の方針に批判的な視点を持って取材するという記者がどれほどいただろうか」

   あえて言えばコロナのような専門性の高い分野では、記者の側の専門知識の不足という問題も指摘できるのかもしれない、と大塚さんはいう。さらに原発事故調では大手紙のほか地方紙、週刊誌の元記者も参加していたが、「一番突破力があったのは週刊誌の記者だった」という。

   ある日、検証プロジェクトに事故直後の原発の緊迫した状況について有力な情報提供があった。だれを確認に向かわせるかというときに、大塚さんが託したのは元週刊誌記者だった。海外でも有名になった、後に『フクシマ50』と呼ばれる事故収拾に当たった「決死隊」の様子を「防護服姿の作業員はみな、顔面蒼白だった」などという詳細な証言を入手してくれた。こうした事実がまったく報じられていない段階だった。この話は報告書の巻頭を飾った。

   大塚さんはさらに、コロナ禍で取材が対面からZOOMに切り替わり、取材力が落ちている可能性もあるのではないかと指摘する。

「全く初対面の人にZOOMで取材するのには限界がある」。

   大塚さんはかつて、医療取材で、ある旧帝大の医学部教授にインタビューした際のエピソードを教えてくださった。その基礎医学系教授は、ある大家の愛弟子で、いつも机に恩師の写真を飾っていた。その恩師に批判的な発言をした時に、写真を裏返しにして話したのだという。

「そうした仕草から、その教授と恩師との関係もわかり、人間関係への理解も深まる。ZOOMには、そうした対面取材で感じる手触りや触感がなくなり、取材相手への理解を深める材料が蓄積されない。ZOOMで取材は完結しない。研究室や実験室、教授室に行くだけでも、様々な情報が入ってくるはずだ」

   今回、コロナ禍を通じて大塚さんが感じたのは、欧米の感染症医学の層の厚さだったという。

「かつて熱帯感染症が多い熱帯、亜熱帯に植民地を多く持っていた英、仏、スペインなどでは、もともと感染症研究の蓄積があり、人材も豊富だ。米国も海軍や陸軍に大きな研究機関があり、研究者も多い。日本にも国立感染症研究所のほか、北大人獣共通感染症リサーチセンター、東京大学医科学研究所、大阪大学微生物病研究所、長崎大学熱帯医学研究所など専門機関はある。しかし、欧米に比べ、予算や人員は圧倒的に限られている」

   これは公衆衛生にもいえることだ。今回の検証報告でも、「日本の医師は臨床医学系、基礎医学系、社会医学系の3系統に分類できるが、層の厚さは社会医学系が最も劣る。日本には医学部医学科を持つ大学は82あるが、2020年3月現在、公衆衛生大学院(SPH)を持つのは5大学、医学系大学院に公衆衛生学の修士号を授与するプログラムも14校に過ぎない」と指摘している。

   「日本の厚生行政では、これまで公衆衛生に高い位置づけがなされてこなかった」と大塚さんは言う。

   今回、大塚さんがコロナ対応で最も印象的だったのは、米国で感染拡大防止の司令塔になり、しばしばトランプ前大統領と激しく対立した国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のアンソニー・ファウチ所長をテレビで見た時だったという。

「彼は80年代半ばから所長を務め、90年代初め、私もエイズ研究の統括研究者だった彼に直接インタビューをしたことがある。つまり、30年以上も所長をやっていて最前線に立っている。アメリカでは感染症対策に継続性があり、これぞという人材は年齢にかかわらず研究を続けられる。日本にもそうした継続性が必要でしょう」

   日本は幸いにも2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)や、2012年の中東呼吸器症候群(MERS)では感染からまぬかれた。SARSの感染が拡大した香港や台湾では、その体験から感染症の深刻さを実感し、将来への備えに怠りなかった。MERS感染を経験した韓国も備えを重ねてきた。たまたまの「幸運」で被害を免れた日本は、その教訓をその後に活かすこともできずに終わった。

   だが、日本でも感染が拡大した09年の新型インフルエンザについて、厚労省が設置した対策総括会議では、翌年に問題点をまとめ、提言をしたにもかかわらず、その後も提言は置き去りにされたままだった。今回1線で活躍している専門家は尾身氏を初め、09年の新型インフルエンザ対応に当たった経験者が多いが、その司令塔を支える保健所、地方衛生研などの予算や人員は削減され、乏しい人材資源や装備、検査体制を「現場の頑張り」で補うしかなかったことになる。

「緊急事態宣言は、医療や検査体制を強化するための時間稼ぎだったはず。でも宣言が解除されると警戒心が緩み、政府は経済回復に前のめりになった印象がある。この間に、病床をもっと増やしたり、医療機関同士の連携を深めたりするなど、やれることはいくらでもあったはずだ」

   大塚さんに話をうかがって、改めて検証作業の重要性を思い知った。どの対策が有効で、どの対策に効果がなかったのか。そして対策がうまくいかなかった点はどこにあり、その背景にどんな構造があるのか。

   今回、委員を含めて20数人の専門家や研究者は、それぞれの本職をこなしながら、短期間に集中して検証作業を仕上げた。数百人規模の陣容を抱えるメディアは、日ごろから数多くの専門家や研究者に取材を重ねてきたはずだ。そのメディアが検証をできないというのなら、できないことの理由と構造を、まずは自己検証するべきではないだろうか。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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