2024年 4月 26日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(39)斎藤幸平さんに聞くコロナと「人新世の『資本論』」

旧世代とは全く異なるマルクスとの出会い

   斎藤さんは現在、大阪市立大学大学院経済学研究科の准教授を務めている。5月11日、大阪にいる斎藤さんに、ZOOMで話をうかがった。

   私の最初の質問は、斎藤さんがなぜ、どのようにしてマルクスと出会ったのか、ということだった。

「私も初めは、マルクスをさほど意識はしていなかった。いくつかの経験が重なって、マルクスの思想の重要性に気づくようになりました。最初の経験は、アメリカの留学中にボランティアとして訪れたハリケーン・カトリーナの被災地で感じた貧富の格差でした」

   「カトリーナ」は05年8月、バハマで発生し、米東南部を襲った最大級のハリケーンだ。当時のブッシュ大統領はルイジアナ州に非常事態を宣言し、ニューオーリンズ市は50万人近くの市民に避難命令を出した。政府は州兵、連邦軍を派遣して救援・救出にあたったが、被害の甚大さに追いつかず、1千人以上が犠牲になった。

   斎藤さんはその年、コネチカット州に本拠を置くウェズリアン大学に留学していた。市域の大半が水没したニューオーリンズは、半年たっても復旧が進まず、多くのボランティアの手を借りねばならなかった。06年3月、大学のキリスト教系団体が募集していることを知り、友人と一緒にニューオーリンズに行き、現地の教会に寝泊まりしながら10日間ほどボランティアをした。

「日中は教会から出て車で被災地を回り、壊れた家で後片付けをしたり、建て直しをしたりしている人たちのお手伝いをした。半年たっても、復旧はまだ進んでいませんでした」

   そこで肌に感じたのは、被災の階層性、強烈な貧富の格差だった。富裕層であれば、業者に頼んで引っ越しをしたり、改築したりすることもできるだろう。だが、家を壊された貧しい家庭では、すべて自力で瓦礫や汚泥を片付け、建て直すしかない。半年後にもボランティアを必要としているのは、そうした人々だった。

   08年9月、サブプライム住宅ローンなどで巨額の損失を出したリーマン・ブラザーズが破綻して株価が暴落し、世界中の金融危機に連鎖した。いわゆる「リーマン・ショック」だ。

「ウェズリアン大の最終学年でした。その夏にインターンを済ませ、就職先も内定していた友人たちもいた。その内定が取り消されるのを見て、最先端の技術を駆使して膨張を続ける金融市場のもろさや、雇用の不安定さを実感しました」

   日本ではリーマン・ショック後に非正規や派遣社員が解雇され、その年の暮れには救済のための「年越し派遣村」ができた。

「この金融危機で、日本の貧富の格差や労働条件の悪化、不安定雇用の実態が本当に明らかになった。資本主義を根底から考え、批判的にとらえる視点が必要だ。そうした思いから、19世紀に資本主義の本質に迫ったマルクスを、本格的に研究しようと思いました」

   斎藤さんはその後、ベルリン自由大学で学び、2012年に修士課程を修了、その後は、やはりベルリンにあるフンボルト大学哲学科に進み、2015年に博士課程を修了した。ベルリンにはMEGAの編集本部があり、その編集に携わることで、後期マルクス研究の重要性を知った。

   ここまでの経験をうかがって、私はようやく、斎藤さん世代のマルクスとの出会いが、先行世代とはまったく異質であることに気づいた。

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