2024年 4月 26日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(39)斎藤幸平さんに聞くコロナと「人新世の『資本論』」

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「グリーン・ニューディール」は実現見込みがない?

   気候変動を中軸に据えた斎藤氏の著書は、まさに時宜にかなっている。そう思う方もいるだろう。だがそうではない。斉藤氏はさらに先を行き、こうした経済成長との両立をもくろむ「グリーン・ニューディール」や他の代替案について、精緻な議論を踏まえながら、実現する見込みがほとんどないと、指摘する。

   資本主義システムを根底から変え、「成長主義」を捨てない限り、現下の危機は乗り越えられない、というのである。具体的に見てみよう。

   まず「グリーン・ニューディール」だ。環境負荷を減らすように産業構造を転換して、新たな市場を見出す。既成勢力からの抵抗はあろうが、もしそれができれば一石二鳥であり、最適解のように思うだろう。だが、それはできない。斉藤さんは、環境学者ヨハン・ロックストロームの研究チームが09年に提唱した「プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)」という概念に注目する。

   地球システムには自然本来の回復力(レジリエンス)がある。だが一定以上の負荷がかかると、その回復力は失われ、急激で不可逆的な破壊的変化を引き起こす可能性がある。これが「臨界点」だ。

   ロックストロームらは、気候変動、生物多様性など9つの領域で計測し、この臨界点を見極めようとした。つまり、この範囲ならば「人類の安全な活動範囲」という領域を設定し、その「地球の限界」内に人類の活動をとどめようという試みだ。

   ところが斎藤さんによれば、気候変動や生物多様性など4項目はすでに臨界点を超えてしまっていた。ロックストロームは最初の提案から10年後の2019年、「緑の経済成長という現実逃避」という論文を発表し、かつての自分の立場を自己批判した。経済成長か、気温上昇1・5度未満の目標か、どちらか一方しか選択できないことを認めたのである。

   斎藤さんによれば、これは経済成長と環境負荷の「切り離し」、つまり「デカップリング」が現実には極めて厳しいことを、ロックストロームが認めたことを意味する。経済成長で増大してきた環境負荷を、電気自動車などの新技術で切り離す。それがデカップリングだ。しかし、効率化によって排出量の伸び率を減らす「相対的デカップリング」では気温上昇に歯止めがかからず、絶対量を減らす「絶対的デカップリング」をするしかない。だが、経済活動が順調に進み、規模が拡大するほど、資源消費量は増大する。つまり「緑の経済成長」がうまくいくほど、さらに劇的な効率化が必要になる。これが「経済成長の罠」だ。だが2030年には二酸化炭素排出量を半減させ、2050年にまでにゼロにするという目標すら危ぶまれるのが現状だ。

   こうしたことからロックストロームは、気候変動に対処するには、経済成長をあきらめるしかない、という結論に達した。経済成長をあきらめ、経済規模を縮小させる以外に、解決法はない、ということだ。だがここにジレンマが生じる。資本主義にはもう一つ、「生産性の罠」があるからだ。資本主義はコストカットのために労働生産性を上げようとする。より少ない人数で同じ量の生産物を作り出せるからだ。しかし経済規模が同じなら、失業者が出てしまう。労働者は生活できず、政治家は多くの失業者が出れば人気が下がる。こうして生産性を上げると、経済規模を拡張するよう強い圧力が働く。これが「生産性の罠」だ。つまり、「経済成長の罠」を抜け出そうとすれば、今度は「生産性の罠」が待ち受けており、改革には強い抵抗が働く。これが「資本主義システム」の限界だ。

   斎藤さんはこうして、新技術の開発で「効率化」を追求しようとしても、商品が安くなればその分だけ消費量の増加につながるという「ジェヴォンズの逆説」などを紹介し、見せかけの「クリーン」の看板が必ずしも危機克服には役立たないことを丹念に論証する。

   斎藤さんは、この本の「はじめに」で、今はやりの「SDGs」すらをも批判して次のように書く。

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