2024年 4月 20日 (土)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(39)斎藤幸平さんに聞くコロナと「人新世の『資本論』」

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弥縫策では解決できないという危機感

   話は急に変わるが、来年は戦後77年にあたる。明治維新から敗戦までと同じ歳月だ。私は近年、敗戦を起点に年を数える以外に、新しい時代区分が必要だと考えている。長かった昭和を、敗戦の前後に区分けし、昭和前期と昭和後期とする。昭和の終わりは、ほぼバブル崩壊、冷戦崩壊に重なっているので、昭和前期は「戦争の時代」、昭和後期は「高度成長と繁栄の時代」と特徴づけることができる。だが、その後の「平成」、「令和」の時代は、「新憲法体制と平和」という点で「昭和後期」と共通するが、「低成長と顕著な少子高齢化」という点で、全く違う時代相になったともいえる。

   「昭和後期」世代のマルクス観は、昭和前期に弾圧されたマルクス研究者が一斉に教壇に復帰したこともあって、歴史、経済、社会科学全般でマルクス主義が隆盛をきわめた。他方、冷戦下では、マルクス主義を標榜する旧ソ連、中国などが自由主義陣営と対立したため、国内では親米保守と親ソ・親中国のマルクス主義的革新という図式に分かれた。

   だが、ソ連のスターリニズムの実態が明らかになるにつれ、親ソ路線は影をひそめる。若者の多くは反スターリニズム新左翼の路線を目指し、60年代末の学生運動、市民運動の高揚期を迎えた。だが、高度成長の恩恵で賃金が上がり、消費主義が行き渡ると、日本では「一億総中流」の幻想が生まれ、マルクスの思想は「過去の遺物」として忘れ去られた。これが、私も含めた「昭和後期」世代のマルクス体験だ。

   1987年生まれの斎藤さんは、ほぼ「平成」世代といっていい。冷戦期の東西対立も、繁栄が絶頂をきわめたバブル経済も経験していない。マルクス思想が国外では旧ソ連や中国と結びつき、国内では左翼や革新と親和性があった時代も記憶にない。

   代わりに直面してきたのは、世界経済のグローバル化、長期に低迷する国内経済、非正規の増大でますます地位が不安定になった雇用、貧富の格差の増大、環境問題の深刻化である。こうして山積する課題を分析する既存の社会・人文科学は細分化され、思想課題の代わりに精緻な実証分析や政策提言を重視する傾向を強め、問題の根源に向き合うことを避けてきた。

   この世代にとってのマルクスは、社会主義国家とは無縁の一思想家であり、左右や保守・革新の図式ともかかわりのない哲学者である。彼は「資本論」を著し、資本主義の根源にある原理を明るみに出したが、その後の思想的な苦闘は未完に終わった。その苦闘のあとを丹念に読み解き、マルクスが向き合った課題をいまに即して考え、社会に問題提起する。それが新世代にとってのマルクス体験だろう。

「19世紀はマルクスの時代だった。20世紀はケインズの時代でした。21世紀は、19世紀とは全く違う意味で、環境問題や,協同体の在り方を思想課題に据えた先駆者として、再びマルクスが脚光を浴びると思う」

   振り返ってみれば、兆候はいくつかあった。21世紀初頭、日本では小林多喜二の「蟹工船」が若者たちの間でブームになった。「ワーキング・プア」や「格差社会」、「ロスト・ジェネレーション」などの新語が次々に生まれた。富が公平に再分配されないことが格差や社会の不安定を招くというトマ・ピケティの「21世紀の資本」は2014年に日本でも出版され、ベストセラーになった。

   グローバル化が国内の格差を拡大し続けた米国では、最富裕の1%が支配する社会への異議申し立てとして「オキュパイ」運動が生まれ、前回と今回の大統領選では、民主党の候補者が一本化されるまで、大勢の若者たちが、民主社会主義を自認するバーニー・サンダース上院議員を熱烈に支持した。

   こうした潮流は、もはや資本主義というシステムそのものが限界に近づき、弥縫策では修復できない、という「99%」の声を背景にしている。

   そして、最後のダメ押しになったのが、気候変動対策の虚妄を衝き、「今こそ行動を」と呼びかけた環境活動家グレタ・トゥンベリさんら後続世代の怒りと抗議だったろう。

   「環境問題」といえば、異常気象による自然災害が頻発する近年まで、日本では、他人事の風潮が長く続いていた。

   03年から06年にかけてロンドンに駐在した私は、欧米と日本の意識の落差に気づくことがあった。当時すでに、北極圏で溺死するホッキョクグマの映像が繰り返し放送されていた。地球温暖化による海氷の縮小・分割で遠くまで出かけ、力尽きたのだという。欧州北部や米国・カナダにとって、北極圏の変化は「目の前の危機」として迫っていることを知った。スウェーデンのトゥンベリさんにとって、地球温暖化はまさに故郷の自然を変える「目の前の危機」であり、それが欧米を中心に伝播したのは、同じ危機意識という共鳴盤があったからだろう。

   話を斎藤さんの体験に戻そう。斎藤さんはハリケーン・カトリーナで自然災害の凶暴性と被害の階層性を間近に体験し、続くリーマン・ショックと「派遣切り」を目にしてマルクス研究に向かった。つまりその軌跡は、これまで述べてきたグローバル化の矛盾や、環境危機に直面する世代の潮流にぴたりと重なっているのだといえよう。

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